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2009.03.18

写真でみる戦後60年
―部落解放運動の歩み

コラム II. 部落解放運動とは?

1922年3月3日全国水平社が創立され、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と水平社宣言が出された。ここから、部落差別の撤廃を求める被差別当事者中心の運動が本格的に開始されることになる。全国水平社は、あらゆる分野で公然と存在していた差別を果敢に糾弾した。その闘いは、軍隊内の差別にまで及んだが、日本のアジア・太平洋戦争突入のなかで、運動に対する弾圧が強化され、戦争協力を余儀なくされた。痛恨の歴史である。

日本は、周辺諸国に甚大な被害を与え、自らも広島、長崎への原爆投下に象徴される被害を受けて1945年8月、敗戦した。敗戦後間もない1946年2月、部落解放運動は、部落解放全国委員会として再建され、新憲法の中に差別撤廃に関する条項を盛りこむことにも尽力した。戦後日本は、急速な経済復興を遂げたが、部落差別をなくすための行政施策がとられることはなかった。このため部落は極めて劣悪な状況のままに放置された。50年代に入り、部落解放運動は、この劣悪な実態の改善を求める闘いを各地で展開し、次第に運動が広がっていった。1955年8月、部落解放同盟へと名称を変更した部落解放運動は、国策樹立を求める国民運動を展開し、その結果、1965年8月、内閣同和対策審議会答申を勝ち取った。この答申では、「同和問題の早急な解決は国の責務であり、同時に国民的課題である」ことを明らかにし、答申を受けて1969年7月には同和対策事業特別措置法が制定された。この法律は主として部落の生活環境改善を目的としていた。

2002年3月未まで、数次にわたる「特別措置法」による施策が実施され、部落差別の実態は、住環境面の改善を中心に一定改善されてきた。しかしながら、「特別措置法」が適応されなかった部落が存在しており、事業が実施されてきた部落でも教育や雇用面を中心に今なお周辺地域との格差が存在している。差別意識は結賠問題を中心に根深く存在しており、就職や結婚、地域社会や職場、学校内での差別事件は後を絶たない。近年では、インターネット上で悪質な差別情報が流布されている。

部落差別は、在日韓国・朝鮮人など在日外国人、アイヌ民族、女性、障害者など日本社会のあらゆる差別と結びついている。また、あらゆるものが国際化してきている今日、世界に存在している差別とも無関係ではない。

このため、部落解放運動は、80年代中頃から部落問題の根本的な解決をめざして「部落解放基本法」の制定を求める運動を開始するとともに、国内外の差別を撤廃するための共同闘争を強化し、1988年1月には、反差別国際運動 (lMADR) を結成した。

今日、部落解放運動は、部落差別をはじめとするあらゆる差別を撤廃し、人権が確立された平和な日本と世界の構築をもめざして活動を続けている。

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