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写真でみる戦後60年
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1996年5月、地域改善対策協議会は意見具申を行った。その中で、依然として差別が残されていること、部落問題をはじめとする人権問題解決が国際的責務であること、今後、部落問題解決にむけた取り組みをあらゆる権問題解決と結びつけていくことの必要性を提示した。 1995年1月から「人権教育のための国連10年」が開始され、国、自治体レベルでこれと連動した取り組みが実施された。2000年12月には、「人権教育・啓発推進法」が公布・施行された。今後、この法律の活用が求められている。 2002年3月、人権擁護法案が国会に上程されたが、人権委員会の独立性、実効性などの面で問題があり、各方面から抜本修正が求められた。この法案は2003年10月、衆院解散のため自然廃案となったが、独立性と実効性が確保された人権委員会の設置を盛り込んだ「人権侵害救済法」 (仮称)の早期制定が求められている。 1995年12月、日本の人種差別撤廃条約加入が実現した。この条約に関する日本政府の第1・2回報告書を審査した人種差別撤廃委員会は、2001年3月、この条約の対象に部落差別が含まれることを明確にした。また、2000年8月、国連人権小委員会は、日本の部落差別やインドのダリットに対する差別を「職業と世系に基づく差別」であり、国際人権法で禁止された差別であることを明らかにし、これらの差別撤廃のための原則と指針のとりまとめをめざしている。2002年7月、部落解放基本法制定要求国民運動中央実行委員会第9回総会が開催された。この総会で、17年に及ぶ運動の成果を踏まえ、部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会へと名称を変更し、部落差別をはじめ一切の差別を撤廃し、人権実現社会の構築をめざすこととなった。 |
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