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2005.01.07
意見・主張
  
スマトラ沖地震による津波被害者への緊急支援のお願い
  昨年末12月26日に起きたスマトラ沖大地震とそれによる巨大津波は、私たちの想像を絶する被害をインド洋を中心とする地域にもたらしました。犠牲になった人々の数は、すでに15万人を上回り(1月4日付朝日新聞)、時間の経過と共に被害の実態は深刻さを増しています。連日のように報道される現地の様子に、阪神・淡路大地震での経験を重ねあわせた方も多数おられると思います。被害は広範囲に及んでいますが、とりわけ、部落解放運動に関わってきた私たちにとって、深刻な被災地の一つでありダリット運動の盛んなインド南部とスリランカの状況は懸念されるものです。

 この数年、研究所の活動や部落解放同盟および反差別国際運動(IMADR)の活動により、部落差別とダリット差別の問題が共通の性質をもっていること、それが世界の他の地域にも存在することが明らかになり、国連の場でも議論されるようになってきました。また、こうした差別と闘っている人々との交流が、プロジェクト支援や現地訪問などの形でIMADRを中心に進められてきました。

 今回の地震・津波はまさにそうした地域を直撃しました。発生当初より、東京のIMADR事務局は、現地代表であり、IMADRの理事会メンバーでもあるニマルカ・フェルナンドさん(スリランカ)とブルナド・ファティマさん(インド)と連絡をとりあい、現地の状況を逐次日本国内に伝えると共に、緊急支援を訴えてきました。また、ニマルカさんとファティマさんはいち早くそれぞれの現場で救援活動を展開し、被災者の支援と窮状を国外に訴える活動を始めています。

 IMADRの一員でもある部落解放・人権研究所は彼女たちの訴えにできる限り応えるため、ここに緊急支援金へのご協力を皆様にお願いします。いただいた支援金はIMADR国際事務局を通して、IMADRアジア委員会(スリランカ)と、パートナー団体の農村教育開発協会(SRED)(インド)に送られ、現地での救援活動に充てられます。

 最後になりましたが、現地から届いたニマルカ・フェルナンドさんとブルナド・ファティマさんのメッセージをご紹介いたします。ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

2005年1月6日
部落解放・人権研究所
所長 友永健三

支援金の送り先
郵便振替<口座番号> 00900-7-149514
<名義> 社団法人部落解放・人権研究所
※ 通信欄に「津波緊急支援」と明記ください。

支援金送付の締め切り
第一次 2005年1月末
第二次 2005年2月末
第三次 2005年3月末

募金の使途

  • 集まった募金は全額、インド洋大津波により被災したスリランカならびにインドの人びとに対する、スリランカとインドの人びと自身による緊急救援活動に充当します。
  • 被災者のなかでもとりわけ、差別や社会的排除に苦しんできた人びとの置かれている状況に鑑み、以下の用途を想定しています。集まった募金の金額と現地の状況の変化に応じて使途は変更される可能性もあります。

スリランカ: 内戦によってつれあいを亡くしたタミル人女性(北部のジャフナ・東部のトリンコマリなど)、ムスリムの人びと(南部のハンバントゥタなど)、子どもたち(モラトゥワを含むコロンボ周辺はじめ全域)などに対する、食糧、衣料品、寝具、医薬品、調理器具、生活用品、教育物資などの配布。

インド: タミルナドゥ州沿岸地域(5地区)のダリットや漁民のコミュニティ(約2000家族、一万人を対象)に対する、衣料品、寝具、調理器具、生活用品、医薬品などの配布。



スリランカからのアピール(2004年12月30日)

  スリランカを訪れたことのある皆さんはこの惨状を受け入れることができないでしょう。浜辺を楽しまれたことのある皆さんはその雰囲気をもはや思い浮かべることができないでしょう。あたかも今、南部、そしてあらゆる海岸地帯で、新たな戦争が再度起こった直後であるかのように、目にするものは遺体と破壊だけです。

  今日、"Tsunami"は皆がよく知る言葉となりました。が、私たちの島にはこうした自然災害の早期警報システムがなく、津波を経験したことがありませんでした。海が象徴するのはいつも、心落ち着かせてくれる美しいものでした。今、私たちは、「海がこんなに残酷になりえるのか」とささやきあうことしかできません。平日よりは被害が少なかったであろうものの、津波の起きた日曜日は市の日で、海岸沿いの被災地には、魚をはじめ食料品を買いに内陸から多くの人びとが来ていました。また、コロンボからハンバントゥタに至る南部のルートは人気のあるリゾート地です。私自身も、常にこの海岸で休日を過ごしてきました。でも、12月29日にそこで目にすることができたのは、惨状と遺体だけでした。軍が身元の分からない遺体を埋めるために集団墓地を掘っていました。いかなる宗教儀式も行われず、覆うものも何もありません。

  この悲劇、恐ろしい惨状にどのようにして対処したらいいのでしょうか。私が広め、続けていきたいテーマは、「私たちは本当に気にかけている」ということです。今はもちろん、私たちにとって大変感情的な瞬間です。多くの人たちが、この災害と悲劇に自分自身を重ねたいと思っています。これが今の私たちの国のムードです。

  私たちは、特定された人数の人びとを対象とし、中期的な救援も行なう予定です。80万人が避難し、10万以上の家屋が破壊され、約3万人もが亡くなっています。家に戻れた人たちには様々な生活用具を供給し、政府が供給したとりあえずの物資で家を修理することは可能です。被害状況と地域バランスを考慮して、支援の規模は地域ごとに、南部1:北部1:東部1.5の割合とすべきだと考えています。政府が責任を持って救援に取り組むようはたらきかけを続けると同時に、私たちとしては、500から1000家族程度を中期的な救援の対象にすることを目標にしています。どこがタミル、シンハラ、ムスリムの共同体なのかはっきりさせつつ支援を行なう必要があります。

  他の多くのスリランカのNGOと違い、IMADRアジア委員会は欧米の支援団体を持ちません。IMADRは基本的に提言活動を行なうネットワークであって、大規模な復興事業には不向きであることも認識しています。しかし私は、IMADR国際事務局・日本委員会、そしてIMADRを創設した部落解放同盟の皆さんをはじめとする日本の皆さんに、ぜひとも力を貸していただきたいのです。

  緊急救援のために、約1万-1万5千米ドル(110-165万円)が必要です。緊急時に必要な食糧や医薬品に加え、調理器具、衣類、シーツ、スプーン・ナイフ、子どもの教科書などに使わせていただきます。できれば、家を再建するためにより多額の資金調達を行なったり、もしくは緊急支援として集まった資金をより長期的な目的のために活用したりさせていただきたいと思います。

  もっとも困窮している人びとが誰なのかを見極めるようにします。いくらでも結構ですので、集められただけのお金を送ってください。そのお金で、私たちが、失った「国」のすべてを取り戻すことが出来ないのはわかっていますが、現実的にならないといけません。

  今、スリランカ全土の復興が語られています。メディアは、それがいかに膨大な課題かを指摘しています。私たちは恐れおののきながら、差し出される数字や課題を見つめています。内戦によって北部と東部はすでに20年間も苦しみました。私は、ジャフナに通じる国道沿いが紛争によって破壊されるのを見てきました。同じ道をたどって、今、南部のシンハラ系住民の居住地域に行くと、同様の光景に出会います。人間の命と尊厳を守りつつ、共にスリランカを再建していかなければならないことを、私たちは知っています。この惨事によって私たちの生をよりよい方向に転じることができるよう、涙を分かちあいつつ祈りたいと思います。お気遣いいただいていることに改めて御礼申し上げます。

ニマルカ・フェルナンド


インドからのアピール(2004年12月29日)

  12月26日の朝、釣りに出かけたとき、このような惨禍が待ちうけているとは誰が知りえたでしょうか。浜で遊んでいた幼い子どもたちや、朝の散歩をしていた人びと。海に漁に出ていた貧しい漁師たち、海岸沿いに密集する小さな家々。これらは皆、高さ10メートルの津波に飲み込まれてしまいました。あまりに強い波だったため、この人たちは何が起きたのか分からないまま、根こそぎさらわれてしまったのです。

  タミルナドゥ州の州都チェンナイ、巡礼地ナガパッティナム、タミルナドゥ州近隣のポンディシェリー、カライカル、そしてトゥティコリン・カンニャクマリ・ナガルコイルなどタミルナドゥ最南部、といった沿岸地域が、最も大きな打撃を受けた地域です。人命のみならず財産への被害も甚大で、その規模はいまだ算定の途上です。遺体安置所には収容しきれないほどの遺体が集められ積み上げられています。海岸沿いの村々にいくつもの遺体が散らばっていますが、それらは主に女性と子どものものです。樹木や建物からぶら下がっている遺体もあります。電気や通信も損傷を受けているため、救援活動を行えない状態です。最終的な死者数はまだ判明していません。最も被害の大きかったナガパッティナムでは、何人もの観光客が巨大な波にさらわれました。

  タミルナドゥの死者数は7200人強です。行方不明者についての報告はありません。地域行政官に対し、人が亡くなった時の状況について正確な情報を収集するよう指示が下りています。

  貧しい人びとは着の身着のままで家から逃げ出さざるを得ませんでした。彼らは小屋の中にあったものをすべて波に押し流され、全財産を失ってしまいました。道端に投げ出され非常な寒さに苦しんでいた人びとは、一時避難所に収容されました。近隣の沿岸の村のほとんどは、建物の残骸だけが残され、おぞましい姿をしています。

  この災害の被害状況はまだ統計的に明らかになっていません。政府機関は救援活動を全面展開していますが、死者数や建物の倒壊数があまりにも多く、被災者まで手が届かない状態です。だからこそ、同胞、親戚や大切な人を失った人々を救うために、ささやかではあっても非政府組織からの援助が必要なのです。私たち自身について言えば、沿岸地域で働いていた私たちの同僚の多くが家族を亡くし、心理的な打撃を受けています。ナガパッティナム地区だけを見ても、ダリット解放運動の盛んな45の村が波にさらわれ、運動の指導者18人が溺死しました。カンニャクマリでは、私たちの活動地のうち41の村が波にさらわれました。チェンゲルペトでは多くの沿岸の村が被災して大勢の人が避難民となり、救援を必要としています。

  緊急援助として、SRED(農村教育開発協会)は、被災地に衣類・寝具・調理器具・医薬品を配ろうと計画しています。そのための当面の資金として710,000ルピー(約170万円)が必要になります。対象地域は、ダリット解放運動の関係者から緊急支援の要請のあった次の地域です:マラッカナム地区(Koonimedu Kuppamの500家族、Anurnanthai Kuppamの2000人)、ポンディシェリー(Manchakuppamの1000家族)、カッダロール(Parangipetaiの500家族、Chozenkuppamの300家族)、ナガパッティナム(女性450人、男性700人、子ども350人に衣類を配布)、カンニャクマリ。

  私たちは、直接に、あるいは漁民やダリットと共に活動している他の団体を通じて、少なくとも二千家族(一万人)に対しては可能なかぎりあらゆる援助を行うつもりです。

  困窮している人々を突然襲った痛恨と悲しみを分かち合っていただけるよう、願っています。

ブルナド・ファティマ・ナティサン

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