スリランカからのアピール(2004年12月30日)
スリランカを訪れたことのある皆さんはこの惨状を受け入れることができないでしょう。浜辺を楽しまれたことのある皆さんはその雰囲気をもはや思い浮かべることができないでしょう。あたかも今、南部、そしてあらゆる海岸地帯で、新たな戦争が再度起こった直後であるかのように、目にするものは遺体と破壊だけです。
今日、"Tsunami"は皆がよく知る言葉となりました。が、私たちの島にはこうした自然災害の早期警報システムがなく、津波を経験したことがありませんでした。海が象徴するのはいつも、心落ち着かせてくれる美しいものでした。今、私たちは、「海がこんなに残酷になりえるのか」とささやきあうことしかできません。平日よりは被害が少なかったであろうものの、津波の起きた日曜日は市の日で、海岸沿いの被災地には、魚をはじめ食料品を買いに内陸から多くの人びとが来ていました。また、コロンボからハンバントゥタに至る南部のルートは人気のあるリゾート地です。私自身も、常にこの海岸で休日を過ごしてきました。でも、12月29日にそこで目にすることができたのは、惨状と遺体だけでした。軍が身元の分からない遺体を埋めるために集団墓地を掘っていました。いかなる宗教儀式も行われず、覆うものも何もありません。
この悲劇、恐ろしい惨状にどのようにして対処したらいいのでしょうか。私が広め、続けていきたいテーマは、「私たちは本当に気にかけている」ということです。今はもちろん、私たちにとって大変感情的な瞬間です。多くの人たちが、この災害と悲劇に自分自身を重ねたいと思っています。これが今の私たちの国のムードです。
私たちは、特定された人数の人びとを対象とし、中期的な救援も行なう予定です。80万人が避難し、10万以上の家屋が破壊され、約3万人もが亡くなっています。家に戻れた人たちには様々な生活用具を供給し、政府が供給したとりあえずの物資で家を修理することは可能です。被害状況と地域バランスを考慮して、支援の規模は地域ごとに、南部1:北部1:東部1.5の割合とすべきだと考えています。政府が責任を持って救援に取り組むようはたらきかけを続けると同時に、私たちとしては、500から1000家族程度を中期的な救援の対象にすることを目標にしています。どこがタミル、シンハラ、ムスリムの共同体なのかはっきりさせつつ支援を行なう必要があります。
他の多くのスリランカのNGOと違い、IMADRアジア委員会は欧米の支援団体を持ちません。IMADRは基本的に提言活動を行なうネットワークであって、大規模な復興事業には不向きであることも認識しています。しかし私は、IMADR国際事務局・日本委員会、そしてIMADRを創設した部落解放同盟の皆さんをはじめとする日本の皆さんに、ぜひとも力を貸していただきたいのです。
緊急救援のために、約1万-1万5千米ドル(110-165万円)が必要です。緊急時に必要な食糧や医薬品に加え、調理器具、衣類、シーツ、スプーン・ナイフ、子どもの教科書などに使わせていただきます。できれば、家を再建するためにより多額の資金調達を行なったり、もしくは緊急支援として集まった資金をより長期的な目的のために活用したりさせていただきたいと思います。
もっとも困窮している人びとが誰なのかを見極めるようにします。いくらでも結構ですので、集められただけのお金を送ってください。そのお金で、私たちが、失った「国」のすべてを取り戻すことが出来ないのはわかっていますが、現実的にならないといけません。
今、スリランカ全土の復興が語られています。メディアは、それがいかに膨大な課題かを指摘しています。私たちは恐れおののきながら、差し出される数字や課題を見つめています。内戦によって北部と東部はすでに20年間も苦しみました。私は、ジャフナに通じる国道沿いが紛争によって破壊されるのを見てきました。同じ道をたどって、今、南部のシンハラ系住民の居住地域に行くと、同様の光景に出会います。人間の命と尊厳を守りつつ、共にスリランカを再建していかなければならないことを、私たちは知っています。この惨事によって私たちの生をよりよい方向に転じることができるよう、涙を分かちあいつつ祈りたいと思います。お気遣いいただいていることに改めて御礼申し上げます。
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