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2005.02.14
意見・主張
  
1・17 スマトラ沖地震・津波の被害者を支援し、阪神・淡路大震災10年を振り返る集会(大阪)
1月17日、大阪市内・大阪人権センターで、「1・17スマトラ沖地震・津波の被害者を支援し、阪神・淡路大震災10年を振り返る集会」が開催され、阪神・淡路大震災ならびにスマトラ沖地震・津波についての報告がされた。以下、その概要を紹介する。
阪神・淡路大震災を振り返る
-達成されたことと残された課題

橋本 貴美男(部落解放同盟兵庫県連合会財務委員長)

被差別部落の被害

 阪神・淡路大震災による被差別部落の兵庫県における被害は、1995年3月27日段階で兵庫県連が把握している分だけで、死者189人、負傷者260人、全壊家屋5,828棟、半壊家屋1,323棟、等であった。また、この他にも1月になると体調を崩すなどの症状がみられる人もいる。震災から10年を振り返り、何が達成され何が課題として今なお残されているのか、震災を伝承していくことを使命としてもっている。

自分自身の体験

 1995年1月17日、午前5時46分、激震で目覚めた。家(尼崎市)の外へ出てみると、通りのブロック塀が南北の方向で倒れていた。まず家族と近くに住んでいる親・親類の安否を確認した。その後、当時の勤務先だった隣保館へむかう途中、数ヵ所でガスの臭いがしていたり墓石が倒壊していた。電話はかかってくる分は通じるがこちらからは通話できない。隣保館に到着後、ガス漏れ・火災防止などの注意喚起を支部広報車で行った。とにかく電気がない、水道も水が出ない、ライフラインが全滅という状況だった。上水道は探した結果、自宅駐車場の水道栓と地区内にある4ヵ所の公園のうち1ヵ所の水道栓が使用できたので、そこに「自由にお使い下さい」という紙を貼り、あわせて広報車で案内を行った。

 地区内の同和住宅は5棟のうち1棟が斜めにひびが入り、すき間から向こう側が見えるという状況になっていたりしており、危険な家屋に留まっている人に対しての退避支援を行ったが、高齢者や1人暮らしの人の比率が高かった。当時、倒壊した家屋から救助の際、普段から近所づきあいがあれば「どこの部屋で誰が寝ている」などわかっている場合すぐに対処できるが、そうでないところは助けようがなかった。また、こういった人たちのために隣保館を避難所として開放した。

 17日から日がたつと、周囲の状況もわかるようになりその中でとくに西の方、西宮市や神戸市の被害がひどいということがわかってきた。自分たちも大変だったが、互助の純粋な気持ちから救援活動をしようということを決め、神戸市内の未組織部落などで炊き出しなどを行った。救援物資を確保するための努力もした。主な幹線道路などは通行できる車が救援活動用に限定されていたが、それに加えて自分たちで持てるものを持てるだけもって徒歩やバイクで各地の救援物資集積場に出向いた。実感として行政の動きが遅く感じたが゛、多くの職員自身も被災者であった。ボランティアの始動は早かったが、一方で活動先の偏りもみられた。マスコミ報道、とくにテレビでは同じ避難所ばかり紹介、その近くにある未組織部落の、より悲惨な状況については紹介されなかった。

 地震は突然やってきて、被災したら動きようもなく、ものだけでなく多くの人の心をも打ち砕いてしまった。その傷跡はさまざまな形で今も残っており、復興の検証はまだまだこれからである。

まとめ

 2004年の台風23号でも兵庫県内の多くの部落で大きな被害が出た。兵庫県連では分担してボランティア活動を行った。阪神・淡路大震災での経験とあわせて、<1>最優先に、いのちを大切にする、<2>くらしをとりもどす、<3>コミュニティを含めて、まちをとりもどす、こういったことを目標に、できるところから、一人ひとりについての救援活動を行い、そして人と人とがつながっていくことが大切であると実感する。

スマトラ沖地震・津波
-スリランカ緊急救援の現場から

ニマルカ・フェルナンド(反差別国際運動理事長)

スリランカでは1983年から20年続いた内戦により多くの被害を出した。死者6万5000人、行方不明6万5000人、避難民も国内で100万人、国外へ2万人、とくに女性や子どもの被害が大きかったが、2004年12月26日の出来事は、ふたたび戦争が起こったかのような、予想もしなかった、考えられないものだった。この日はスリランカでは休暇の始まりの日にあたり、多くの人がきれいな海岸地方にむかい、移動が始まった際の出来事だった。「TSUNAMI」は初めての体験であり、しかもそれまでの私たちの概念にはなかったものであり、BBC放送をつうじてそのことばを知った。

「TSUNAMI」の被害は現在把握できているだけで、死者が3万500人でそのうち3分の1が子ども、行方不明は5240人、避難住民83万5028人、負傷者1万6605人、開設された避難所798ヵ所に及ぶ。ここでもとくに女性と子どもの被害が多かった。モラトゥワでは1500人を乗せた列車が「TSUNAMI」に巻き込まれ、生存者は35人だった。さらに女性や子どもの人身売買が行われており、「TSUNAMI」によって国の3分の1が壊され、全部を説明しきれない。

このような中、政府の救援活動は少数者や弱者に不公平な対応を行っている。施設は軍のキャンプ再建を優先し、他は後回しにされた。また、救援物資もまず軍人が抑えて、一般市民への配給がコントロールされている。

私たちは、被災者の中でもとりわけ、差別され社会的に排除されてきた人びとが笑顔をとりもどし元気になる一助として努力している。具体的には、女性や子どもを人身売買から守る印として避難所に紫色のポスターを貼ったり、関係諸組織の救援活動、あたたかい食べ物の配給、一軒一軒訪ねての安否確認と具体的な要望の聞き取りなどである。そして長期的には、女性や子どもの支援プロジェクト、弱者(マイノリティ)のコミュニティ再生をめざしている。

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