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2005.01.24
意見・主張
  
震災とマイノリティ
-新潟中越地震関係-
2004年10月23日に発生した新潟中越地震において、様々な支援活動がなされてきました。
これからも、長期的、恒久的な支援が求められています。
解放新聞から、支援の取り組みなどを中心に、随時掲載して行きます。


部落解放同盟でも災害復興支援カンパ要請を行っております。

(振込先)東京三菱銀行六本木支店
(口座番号) 普通預金1527536
(口座名義) 本部長 組坂繁之


解放新聞第2203号(2005/1/24)より
カンパ1千万円手渡す
新潟県連通じ、被災者に

 

 新潟県中越地方を襲った地震の被災者の多くが、生活再建のめどもないまま、雪の季節を迎えた。組坂委員長と松岡書記長は、1月13日午後、長岡市にある新潟県連を訪ね、全国の同盟員から集まったカンパ1000万円を復興のために役立ててほしいと手渡した。県連からは、委員長、副委員長、書記長、書記次長、被災の中心地帯となった小千谷支部書記長が立ち会った。

 このカンパは、災害対策本部にあつまった義援金の全額と昨年10月の狭山集会で集まったカンパの一部。台風災害を受けた部落からは、「復興は自力でなんとかできる、厳しい状態にある新潟のきょうだいに回してほしい」との声とともに届けられた。

 県連委員長は、「あらためて全国のきょうだいに感謝したい。地震後には、関東ブロックからの救援隊が来てくれた。まだ、具体的な用途は決めていないが有意義に使わせてもらう。1日も早い復興に努力したい」とのべた。小千谷支部書記長は「今回、市内は被災の中心になった。被災した未組織部落を20年ほど前にオルグしたが、2度と来るなといわれた。今回、素早い解放同盟の救援活動にたいして『ありがとう』と電話をしてきてくれた」と近況が報告された。

 暖冬で例年は雪の少ない冬を迎えている長岡市内もここ数日の雪で、中心部も除雪の雪で土手ができている。長岡駅に隣接して整然とならんでたてられている仮設住宅の屋根の上にも40-50センチの雪がつもっていた。人影はなく静かなたたずまいのなかで避難生活がつづいていた。


解放新聞第2199号(2004年12月20日)より
新潟中越地震 長期的・恒久的な支援が必要

 大きな被害を被った新潟中越地震への支援活動が、各地でとりくまれている。本紙ではこうした支援活動を紹介してきた。今回は鳥取と大阪の取り組みを紹介する。

 【鳥取支局】部落解放同盟鳥取県連智頭町協議会では、解放子ども会が新潟中越地震で被害を受けた仲間にとカンパ活動をおこない、支部でとりくんだカンパ金とともに、県連を通じて送金した。
 カンパをおこなった解放子ども会は、久志谷支部解放子ども会が、11月14日にひらいた久志谷解放文化祭の会場で、子どもたちの手作りうどんを参加者に販売した売上金28,900円を、本折支部でも解放子ども会が、春に植え付けたサツマイモを児童館事業でとりくんだ料理加工教室で学んだ、お菓子を作り販売した売上金9,860円を、それぞれ送金した。

 【大阪支局】府連は、11月18-21日、新潟中越地震の被災地でボランティア活動を展開した。府連副委員長を団長に、各支部の青年部などから21人が参加した。

 ボランティアの一行は、18日夜、バスで大阪を出発し新潟県の小千谷市に向かった。途中のパーキングエリアでは、いまだにつづく余震にあうなど緊張感をもちながら10時間かけて新潟県連小千谷支部の支部長宅に到着。早朝から支部長の誘導で小千谷市のボランティアセンターへ。全国各地からかけつけたボランティアと合流し、それぞれ指示された場所へ移動し作業を開始した。

 長ぐつや手袋を着用した府連のメンバーは大きな被害をうけた住宅のがれきの後片付けや、工場の資材整理などに汗を流すとともに、ボランティア情報や励ましのメッセージなどを書いたボランティアニュースの配布なども手伝った。

 現地では、ライフラインの復旧の遅れなどから、いまだ体育館などで避難生活をしている人がたくさんいる。仮設住宅建設も急ピッチですすめられているが、日本でも屈指の豪雪地帯だけに、これから迎える冬に向けていっそうの準備が必要となっている。

 府連では、今後もカンパ活動を含めて長期的・恒常的な支援をつづけていくことにしている。


解放新聞第2195号(2004年11月22日)より
被災救援活動に全力、残る大きな爪跡
目の前に迫る豪雪地帯の冬

ほとんどが高齢者の一人住まい
「危険」の赤紙張られ立入禁止も


 新潟県中越地震では、電気、水道、ガスなどのライフラインの復旧が遅れているため、いまだに大勢の市民が体育館などで避難生活をつづけているが、部落解放同盟中央本部は第1次支援隊を募集、10月31日から11月3日までの4日間、被災地の小千谷市に入り、物資の運搬や家の後片付けを手伝った。支援隊には、関東ブロックのほか奈良などのべ65人が参加した。

 解放同盟の支援隊は、10月31日に小千谷市の小千谷支部長宅に集結、ただちに行動を開始した。

 支援隊はこの日、小千谷市川井に向かい、グループホーム「ほのぼの」の後片づけをおこなった。グループホームには9人のお年寄りが入居していたが、地震後、隣町の病院に移送された。

 建物は、何とか持ちこたえたが、液状化現象で中央部が大きく盛り上がり、ふすまやドアが開かない。タンスやテレビ、ロッカー、食器棚、冷蔵庫など室内に設置されていたものはすべて倒れ、食器や食品などが部屋中に散乱、足の踏み場もない状態だった。支援隊は、メチャメチャに壊れた室内を片づけ、人が住める状態に戻した。

 翌日は、4班に分かれて小千谷市内の部落に入り、一人暮らしの家庭や病気などで片づけがすすまない家の片づけを手伝った。片岡中執は「災害では、弱者が一番被害を被る。救援の手もその人たちに入らない場合が多い。できるだけ大勢の人たちを支援したい」と語った。

 「未指定地区」だった所では、「危険」の赤紙が張られ、立入禁止の家が多く見られる。

 黄色の「要注意」の張り紙がある被災家屋では、柱時計の針が午後5時58分で止まったままだ。1階の居間に置かれていたテレビは、コードを引きちぎり反対側に転がっていた。2階の居間は、障子、唐紙、仏壇が吹き飛んでいた。台所の食器棚、書棚は叩き潰したように埋まっていた。そうした状況の家いえを、1軒ずつ片づけにかかった。ほとんどが高齢者の一人住まいのため、手が付けられていない。

 避難先から一時的に戻って立ち会うお年寄りに、一部のボランティアは、慰めたり話し相手として対応した。

 これから豪雪地帯の冬が目前に迫ってきているだけに、今後もさまざまな支援が必要とされている。


解放新聞第2194号(2004年11月15日)より
関東ブロック中心に支援行動継続
「未指定」で大きな被害
新潟中越地震 組坂委員長も激励



 10月23日夕刻に発生した「新潟県中越地震」で大きな被害を受けた小千谷市の被災地を、中央本部の組坂委員長が11月3日、訪れた。小千谷支部の案内で、市内で大きな被害を受けた地区に入り、不安にかられている一人暮らしの高齢者宅などを中心に激励して歩いた。

 現地では、震災直後から現地入りしていた片岡中執をはじめ、中央本部の要請で関東ブロックを中心に集まったボランティア60人が、甚大な被害を受けたグループホームの施設の再建や、家屋内の混乱した家財道具の整理にとりくんだ。激励に訪れた地区は、「未指定地区」であったことから、これまで生活環境の整備が放置されてきたために被害が大きかった。地区の境を流れる川の対岸に迫る周辺地域の崩壊で、2次災害の危険も迫っている。

 強い余震がつづくなか、支部長は、道路や通信手段の遮断で被害を受けて孤立していると思われる地区との連絡が取れず、課題を抱えている。仲間の安否を気遣いながら、何とか早く打つ手はないかと心労している。


解放新聞2193号(2004年11月8日)より
被災者救援へ緊急行動
10月26日、関東ブロックが車で物資届ける



 死者30余人、けが人2300人を出した新潟中越地震は、地震発生から5日たった日も震度6の余震がつづき、9万8000人が避難生活をつづけるという大きな被害を出している。部落解放同盟中央本部と関東ブロックは被災者救援のために10月26日、片岡中執を責任者に救援物資を届け、新潟県連小千谷(おじや)支部を見舞った。

 片岡中執らは25日夜、救援物資を積み込んだ車で長野市に入り、長野県連と合流。長野県連も物資を満載した車を用意した。翌26日、2台の車は新潟県上越市に向かい、新潟県連の委員長と合流。委員長の案内で被災地の小千谷市をめざした。

通行止め迂回 小千谷支部へ

 しかし、十日町市を前にした峠が崖崩れの危険で通行止めとなり、大きく迂回して北陸道を経由して長岡市に向かい、午後3時、ようやく小千谷市内に入った。市内は、いたるところで道路がひび割れ、通行止めになっている。一部の信号機は復旧しているが、停電がつづいており、交差点ではあうんの呼吸で車がすれ違う。あちこちに家屋や塀の倒壊が目立つ。とくに老朽化した家屋の倒壊が激しい。

無事を確かめ荷物搬入

 一行は、新潟県連小千谷支部長宅に到着後、無事を確かめて、すぐに荷物の搬入を開始した。今回届けたのは、カップラーメンと水、バナナ、ミカンなどの食料品のほか、卓上のガスコンロ、紙コップや割り箸も用意した。支部長は、「本当にありがたい。全国の皆さんに感謝したい」とお礼をのべた。小千谷市周辺の部落のようすを尋ねたが、道路が寸断されて確認できない。近くの極楽寺に向かい、物資の一部を差し入れする。寺の麻田住職は、同宗連のリーダーで、近所の人のための炊き出しをしていた。炊き出しのための野菜が欲しいといわれたが、物資リストには入れていなかった。

 途中、市内を通り抜けた。商店街のガラスが、余震のたびにさらにガチャガチャ音を立てて壊れ、恐怖感をあおる。

朝から冷たい雨、余震の中 電気、水道、ガスも止まって

 この日は、朝から冷たい雨が降り、被災地の人たちは寒さに震えていた。中越地方では、もうすぐ雪になる季節だ。いまだに余震がつづくために家屋の倒壊を恐れて大半の人は車の中で夜を過ごしている。長谷川支部長の家族も、車で寝ているが「ほとんど眠れない」と衰弱の色を隠せない。

 新潟の揺れはまだおさまっていない。気象庁も今後しばらく余震がありうるという。電気と水道とガスが使えない限り、避難生活は終わらない。

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