新潟県中越地震では、電気、水道、ガスなどのライフラインの復旧が遅れているため、いまだに大勢の市民が体育館などで避難生活をつづけているが、部落解放同盟中央本部は第1次支援隊を募集、10月31日から11月3日までの4日間、被災地の小千谷市に入り、物資の運搬や家の後片付けを手伝った。支援隊には、関東ブロックのほか奈良などのべ65人が参加した。
解放同盟の支援隊は、10月31日に小千谷市の小千谷支部長宅に集結、ただちに行動を開始した。
支援隊はこの日、小千谷市川井に向かい、グループホーム「ほのぼの」の後片づけをおこなった。グループホームには9人のお年寄りが入居していたが、地震後、隣町の病院に移送された。
建物は、何とか持ちこたえたが、液状化現象で中央部が大きく盛り上がり、ふすまやドアが開かない。タンスやテレビ、ロッカー、食器棚、冷蔵庫など室内に設置されていたものはすべて倒れ、食器や食品などが部屋中に散乱、足の踏み場もない状態だった。支援隊は、メチャメチャに壊れた室内を片づけ、人が住める状態に戻した。
翌日は、4班に分かれて小千谷市内の部落に入り、一人暮らしの家庭や病気などで片づけがすすまない家の片づけを手伝った。片岡中執は「災害では、弱者が一番被害を被る。救援の手もその人たちに入らない場合が多い。できるだけ大勢の人たちを支援したい」と語った。
「未指定地区」だった所では、「危険」の赤紙が張られ、立入禁止の家が多く見られる。
黄色の「要注意」の張り紙がある被災家屋では、柱時計の針が午後5時58分で止まったままだ。1階の居間に置かれていたテレビは、コードを引きちぎり反対側に転がっていた。2階の居間は、障子、唐紙、仏壇が吹き飛んでいた。台所の食器棚、書棚は叩き潰したように埋まっていた。そうした状況の家いえを、1軒ずつ片づけにかかった。ほとんどが高齢者の一人住まいのため、手が付けられていない。
避難先から一時的に戻って立ち会うお年寄りに、一部のボランティアは、慰めたり話し相手として対応した。
これから豪雪地帯の冬が目前に迫ってきているだけに、今後もさまざまな支援が必要とされている。