森原秀樹・反差別国際運動(IMADR)事務局長と坂東希・反差別国際運動日本委員会(IMADR・JC)事務局員が、日本のNGOらとともに1月30日-2月13日、スリランカ、2月13-16日はインドを訪れ、津波被災地や救援状況などを見た。スリランカでは、津波被災地や避難民キャンプへ。また、ニマルカ・フェルナンド・IMADR理事長とともにIMADRアジア委員会が活動する地域にも足を伸ばした。2月13-16日はインドのタミルナドゥ州を訪れ、ブルナド・ファティマ・ナティサン・IMADR理事とともに津波の被災地を訪問。現地では、被災から1か月以上経ったいまでもダリットに支援が届いていないのが現状だ。草の根でとりくむNGO活動を支援することで、国境を越えた人と人とのつながり、差別と闘う当事者の運動づくりへの継続した長期支援の必要性が今後の課題となる。森原事務局長と坂東事務局員から話を聞いた。(インド・スリランカの写真はIMADR提供 ※写真をクリックすると写真の説明が表示されます)
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ムスリムへの被害が
森原さん
IMADRも所属している日本のNGOネットワーク「スリランカ復興開発NGOネットワーク」(現在13団体加盟)が、「国別NGO研究会(スリランカ)」という外務省の委託事業(活動環境整備支援事業で、外務省がNGOに委託して特定の国の状況を調べるという事業。今回の現地調査には8団体が参加)の一環で、1月30日-2月9日、NGO合同現地調査としてスリランカを訪れた。活動の課題やNGOとして何ができるかを考えようと、被災地と被災地での救援活動の状況などを視察した。
スリランカは、北海道の8割くらいの面積。コロンボから北東部、南部まで回った。インドは、チェンナイ、南部までいくことができた。10数か所の村や街、避難民キャンプを訪問し、被災者救援活動をしている現地の人、海外から被災地に入って活動している国際NGO、日本のNGO、国連機関、政府機関の人たちと直接会って話を聞くことができた。
ちょうどスリランカでは、緊急救援が一段落し、中期・長期的復興、支援に移行している時期だった。津波直後は学校など公共施設で避難民キャンプが作られ、約800か所の避難民キャンプがあったが、私たちがいったとき(2月上旬)は328か所に減っていた。キャンプ生活で被災者たちは、配られた物資で生活をしている。びっくりしたのは、政府が支給している生活補助金が、ようやく最近になって被災者の手元に届いていたことだ。つまり津波発生から1-2か月遅れで受け取られていた。
また、海外から来て活動している大きな組織の国際NGOは、仮設住宅を造って、できあがりしだい、被災者がそこに入ってもらう作業をおこなっていた。
スリランカは、20年間紛争に苦しんだ。紛争地だった北・東部など、地域によっては反政府組織のLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)の支配地域。南部は、海沿いに町が広がって栄えていて、経済的には豊か。北・東部は比較的に貧しい。被災した村、とくに漁村は、村ごとすべて破壊されている。残っているのは、椰子の木と家の残骸だけだ。廃墟と化していて、ここに村があって、人が住んでいたなんて想像しづらい。目で見た感じは、南部沿岸の街の方が栄えている分、破壊状況がひどく映るが、一個一個の村の被害状況は同じだ。紛争地ではタミルの人たちが被害を受けている。
民族構成も複雑で、多数派民族シンハラ(おもに仏教)、少数派民族タミル(おもにヒンドゥー教)、ムスリム(イスラム教)の民族がいる。民族紛争はシンハラとタミル間でつづいてきたが、それに巻き込まれる形で、ムスリムは両方から迫害を受けてきた。今回の津波で、民族別で被害状況を見ると、なかでもムスリムへの被害が大きく感じた。スリランカでは3万人が亡くなったと被害報告が出ているが、女性や子どもをはじめ、ムスリムも多く亡くなっていることをちゃんと考えていかなければいけない。だが、そのことはあまり語られていない。
東部のアンパラでは、海岸部10‡`‡bの間にタミルとムスリムの村が交互にあって、それぞれに必要なものや抱えている課題も全然違うので、状況が複雑だ。
女性の状況は、紛争でつれあいを亡くして独りになっている女性がいて、今回の津波でつれあいを亡くして独りになる女性がいる。生計手段をもてない人が女性のなかに多く出てきている。子どもの状況は、学校が被害を受けているので学校にかよえるようにしないといけない。学校を再開しても学用品がなかったり、先生の確保が大変な状況がある。
支援方法を模索して
津波から1-2か月が経って、復旧・復興へという段階にある。この時点を迎え、仮設住宅に入れる人と入れない人、政府からの支援補助金を受け取れる人と受け取れない人、国際NGOが活動している地域と活動していない地域など、格差、差異が出てきている。紛争地でLTTEの支配地域、紛争地で政府の支配地域、紛争地でない地域、それぞれでずいぶん状況が違う。政府高官が住んでいる地域は復興がすすんでいたりする。逆に末端行政が機能していない地域などは、とても厳しい状況にある。
女性、子ども、ムスリムに焦点をあて、地域ごとに支援のやり方を模索する必要がある。
ダリットヘ支援届かず
インドでは、スリランカ北部と同じように、流されてしまった漁村の光景が典型的だった。今回視察したダリットの村は漁村と隣り合わせの村が多かった。だいたい3つのタイプにわけられる。<1>ダリットの村が、沿岸部の漁民(低カースト)の村より少し陸側にある。漁業をおこなうには政府に登録しなければいけないが、ダリットは登録できないので、内海(潟)でエビや貝を捕っていた。しかし津波で捕れなくなった。生活手段が無くなって生活ができない状況がある<2>漁民の村と同じく沿岸部にダリットの村が隣接していて、家屋にも被害が出ている。やはり内海で漁をやっているので補償はない<3>ダリットは漁民の仕事を手伝ったり、農業をしている。漁民の仕事がないのでダリットの仕事もない。津波で家屋の被害を受けている。漁民には政府から支援物資が届くが、ダリットはその場所に元もと住んでいないことになっているので、支援が届いていない。典型的なのは、支援物資が入ってきても、漁民の村で物資が止まってしまう。一言でいうと、被災したダリットの村には支援が届けられていない。
チェンナイなどの都市では、海岸沿いに住んでいたダリットたちが無理矢理立ち退きさせられたと聞いている。インド政府は、海外からの支援を断ったり、軍隊を派遣したりと余裕を見せているが、支援が届かない人は放っておかれている。国際NGOも現地に来ているが、勝手バラバラに支援活動をやっている。しかもダリットに関しては何も届けていない状況だ。
ダリットは、漁民の人とともに生きているので、漁民の生活もきちんと補償していかないと、ダリットも生きていけない。それはそれで複雑だ。
紛争再開へ緊張高まり
ニュースなどで報道があったように、日本をはじめ世界中から、ものすごい人とお金がスリランカに来ている。しかし、津波という自然災害で、社会的差別構造、経済格差、政治的混乱などの問題が表面化している。政府や国際NGOがそういった部分をまともに見ないで、大規模な復興事業を手がけている。そのなかで緊急支援のお金は「宙を舞っている」。人間が生活している場所まで降りてきていない。海外からの莫大な支援金は、大統領が権力を集中させようとするために使っている。警察機関や公安、軍備再編、基地復興など、国としての基盤整備が優先されて、「人びと」は置いてきぼりだ。
また、反政府勢力LTTEもこの機会に民衆の理解や支持を得ようと救援活動をがんばっている。一方、軍備強化もすすめているので、紛争再開への緊張が高まっている。
同時に、軍事的な影響力を増したいと思っている外国の軍隊が緊急救援という名の下にスリランカに入ってきている。視察中も、アメリカ海兵隊や各国の軍隊をたくさん見かけた(日本の自衛隊はスリランカには来なかったがインドネシアにはいった)。ニマルカ理事長たちは、そのことに反対する抗議活動をしている。「軍隊には来てほしくない」という立場を明らかにし、救援以外の目的がある軍隊がたくさん入ってきて復興過程を軍事化していることを懸念している。このような反対の声は結構多くあがっているのに、その報道はされない。たくさんのお金が何に使われているかを私たちが注意深く見ていく必要がある。そしてそれらを広く伝える必要がある。
日本もNGOにたいして、何日間でいくら使いなさい、と緊急支援金を出している。それをNGOは、無理矢理使い切るのだ。高い資材でも買うし、人件費もつり上げるだろう。そのため、スリランカの物価は上がっている。私たちが渡したカンパの価値が、向こうで下がってしまっている現実がある。海外から来ている国際NGOは、お金を使い切ろうと必死で使うが、それによって誰が困っているかといえば、物価上昇に苦しみ、支援金などのお金が入ってこないニマルカ理事長をはじめとする現地のNGO団体だ。海外からの国際NGOが仮設住宅をつくるという場合でも、被災者や現地で活動しているNGOと、どうやって作っていこうかなどの話し合いも十分にされていない。
国境を越えたつながりを
-現地の人たちの自主的な活動を支援し続けたい
支援のあり方考えた
坂東さん
日本のNGOのネットワークの一員として今回、現地へ視察にいったが、IMADRとしての独自性を考えさせられた。
「支援」という言葉で、いろんな人たちが動いているが、支援のあり方が現地の人たちに与えている影響を考えさせられた。被災直後、多くの人が亡くなった深い悲しみのなかで、現地の人たちが自分たちでできることをやっていたにもかかわらず、「支援」「国際援助」として多くのお金を持って、日本をはじめ各国政府、国際NGOが現地に入った。それ自体は否定したくないが、結果的に現地の人たちが、「支援」に依存してしまっている。自分たちで立ち上がる力を失ってしまっている。そういう部分を見ていかなければいけない。長期的に支援がどういう影響を与えているのかを考えると、いまの国際NGOの「支援」のあり方には疑問がある。
インドでは、ファティマ理事に会った。彼女がいうには、支援物資を受け取るさい、村長が村の中にどういうふうに配布するかの決定をしているので、ダリットたちは、自分たちのなかから村長を出していくことが必要だと気づき始めている、と。もともと運動が組織されていなかったダリットの村の中にそういう意識が芽生えているので今後につなげていきたい、人を育てていくことを大事にしていきたい、と語っていたのが印象深かった。
スリランカでは、プランテーションワーカー(茶農園やゴム農園などで働く労働者。植民地時代に強制的にインドから連れてこられたタミル人。何世代にも渡り、低賃金で長時間労働をさせられている。茶などの農園は山のなかにあり、生涯そこで働き暮らす。いわば隔離状態で、住居も狭くて劣悪な環境に住まわされている。教育もまともに受けられず、1989年まで市民権すらなかった。スリランカ国内でもっとも不利な境遇のグループのひとつ)が、東部の被災したタミルやムスリムの村にいって支援活動をしている。被災地までみんなで出かけて、ありったけのお米を提供したりしている。すべて自分たちのお金で、自分たちで決めて行動している。今後も組織してやっていこうとしている。しかし、このような活動にたいし、外国からの支援金はまわってこない。スリランカ政府は、このような現地の人たちの自主的な救援活動を支えて伸ばしていけばいいのに、と感じた。
自分たちの村の将来を自分たちで考えていかなきゃだとか、女性の自立のために組織化してがんばっていこうだとか、そういう意識が、とくにタミルやムスリムの村で出てきている。つらい経験だが、自分たちの境遇を自分たちで変えていこうとする芽が出てきているとすれば、それを一番大事にしていくよう、IMADRとしてどんな支援ができるのかを考えたい。
復興まで忘れないでほしい
組織でカンパしてくれたところもあるが、支部のおじさんやおばさんが出してくれたお金が、IMADRをとおして、スリランカとインドで使われている。日本政府からのお金ではなくて、日本で運動している人たち一人ひとりがカンパしてくれたお金だということを、ニマルカ理事長もファティマ理事も理解してくれている。ニマルカ理事長は、「私たちのために一人ひとりが出してくれた大切なお金だということは、1月に日本にいったとき感じた。復興していくにはまだもうちょっと時間がかかることなので忘れないでほしい、という願いがある。私たちのがんばりを、継続して支援してほしい」と語った。私は、IMADRとして、現地の活動を支えていける活動ができるって素敵だなあと実感できたし、継続した支援をつづけていきたい。
当事者の運動支えたい
紛争と津波で3回も家を失った人がいる。被災する前の土地は紛争で無理矢理移住させられたところなので、紛争が起こる前に住んでいた場所に戻りたいという人もいた。そんなニーズは、いまの復興支援のなかでは絶対に相手にされない。
被災者はキャンプで何をしているか。女性は子どもの世話や料理を作ったりしているが、男性はやることがない。テントに寝転がってカード遊びに興じていたり、連れ合いを無くして心に傷を負って、茫然自失に陥っている人もいる。阪神大震災のときもそうだったが、この先PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状がでる人もいるだろう。被災者は待っていれば補助金も来るし支援物資も出る、仮設住宅も用意してくれる状況なので、何も考えず受け身にさせられている。自分のことを自分で決められない状況がある。
キャンプを回っていて、私も自分のなかに潜んでいた偏見に気づいたのだが、被災者たちは、被災前は、ちゃんと自立して生活していた人たちなのだ。海外から入ってきて人道支援をおこなっている人たちは、そのことを理解して被災者とかかわらなければいけない。被災者との関係が、援助する側、される側というふうになってしまっている。被災者の人たちが主体となるような救援活動が求められていると思う。
ニマルカ理事長たちが何年も育んできた地元の草の根の運動に携わっている人たちは、津波が起きたつぎの日から被災地に赴き、支援に動いている。国際的支援が入ってきたのは津波発生から1週間も後だ。そんなふうにがんばっている現地の人たちにたいし、外国からの支援金が使われるようなことは少ない。それどころか、地元の草の根の運動団体が、国際NGOの場当たり的な支援によって、周辺に追いやられている状況がある。外から入っているNGOは、被災者や地元のNGOが中心になるような支援を心がけるべきだ。日本政府は「日本の顔の見える援助を」とよくいっているが、本当に見えなければいけないのは、支援する側の「日本の顔」ではなく、被災者や地元活動者たちの顔のはずだ。
地元の草の根のNGOが力を付けていかないと、津波の後の社会づくりにつながっていかない。海外から入ってきている「NGO事業団体」はそういうことまで責任をもたない。IMADRとしては、草の根で活動する人たちのがんばりにかかわっていきたいし、そのことを広く伝えたい。今後も中期・長期的に支援をしていく立場として、被災者が主体になって自分の生活を作っていったり、支援が届いていない人たち(社会的に排除されたり、差別のなかで生きてきた人たち)自身が主体的に立ち上がり、津波から復興するだけではなく自分たちの境遇をみずから変えようとする運動を支えていきたい。
国境越えてつながる
今回の現地視察では、被災した人自身と被災した場所で話をすることができたこと、現地で活動する運動体と話し合えたのが1番の収穫だった。2番目の収穫は、ほかの日本のNGOと1週間以上行動をともにしたことで、IMADRの独自性、IMADRとして今後どういう活動をしていくのかをさらに深く考える良い機会になった。
緊急支援に関するIMADRの基本方針として、<1>現地の活動家による被災者への救援活動を支援する<2>被災者のなかでも差別され社会的に排除されてきた人びとを救援対象とする<3>そういう人たちにたいして、政府や国際NGOから支援が届いているかを監視する<4>日本国内外で募金活動をおこなう、を掲げて活動してきた。<4>については、ニマルカ理事長が来日したさい、神戸で震災後のとりくみを視察した。そこでは「震災復興」と「マイノリティ」というキーワードで、人と人とのつながりを見ることができた。加えて、今回の現地視察で考えたこととして、長期的な津波復興経験を経て差別と闘っていく運動づくりをすすめるために、単なる「連帯」ではなく、国や地域を越えて人と人とがつながっていける、そんなつながりをIMADRとして創っていきたい。インドとスリランカで反差別のための当事者の運動づくりをやっていきたい。その意志を、ニマルカ理事長、ファティマ理事をはじめ、彼女らのもとで働いているスタッフなど、現地で活動する多くの人たちと確認できたことがよかった。たとえば、現地のこの人と日本のあの人を会わせてみたらよいだろうなあという感覚ができた。IMADRとして、スリランカやインドで一緒に活動できる仲間がいることが本当に良かったと思っている。
数多くの支援が必要
ニマルカ理事長は、「We Do Care(私たちはあなたたちのことを気にかけています)」を支援活動のテーマにしている。「支援が届いていない人たちにたいし、規模は小さくても気にかけているよ、というメッセージを大事にしたい」といっている。支援が届いていない被災者にたいし、同じ視点でかかわりたい。
はっきりいうと、現地でのニーズにすべて応えようとすると、もっともっとたくさん支援が必要になってくる。しかし、IMADRは、部落解放同盟の同盟員をはじめ、日本で活動する人たち一人ひとりが支えている組織だということ。だからIMADRからの支援は、たんなる援助金ではなく「連帯のための資金」だということを、ニマルカ理事長もファティマ理事もわかってくれている。その相互理解ができたうえで、彼女らは「私たちがたんに援助金ばらまきではなく、みずから立ち上がる運動を創っていっている当事者だということをわかってほしいし、国際NGOが入ってきてどれだけ私たちの運動が周辺に追いやられてしまったかを強くアピールしてほしい。そして、支援を継続してほしい」といっている。
IMADRとして、人と人とのつながり、差別と闘う運動づくりへの長期支援は、本質的にしっかりとやっていくべき課題だと思っている。そういう位置づけを、ひとりでも多くの人と共有していきたいと考えている。各方面で、長期的な支援をよろしくお願いします。
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