女性の立ち上がりを見る
つぎの日からは、2月に訪れたときに感じた「1つの希望」がどう形作られていけるのかを見ようと、アンパレ県のカラティヴとカルムナイ、マルダムナイにいき、IMADRアジア委員会の活動を見学した。そこでは、今後の活動や、女性たちの立ち上がりをみることができた。
アンパレ県は、スリランカ全土の約3分の1に相当する、1万人以上の死亡者が出ており、被害が集中している地域。被災した村にいったが、2月と状況はほとんど変わっていない。海岸から100‡b以内の居住を禁止する決まりがあるから、人が住んでいない。こんな決まりを作っておきながら、政府は代替地を用意していないので、津波以前に居た場所に人が戻ることができない。
人びとは、支援に依存している状態がつづいている。マルダムナイでは、町があった跡地に、お墓として木切れが建ててあって、心痛む光景が残っている。
たとえば、首相が住んでいる地域など、政治家が影響力をもっている地域には支援が届いている状況がある。つまり、マイノリティには支援が届かず、マジョリティには支援がきちんと届いている。結果、差別がまかり通っている状況だ。
カラティヴでは、IMADRのパートナー団体がとりくんでいる、少数民族の子どもの教育にかんするプロジェクトを見学した。カルムナイでは、紛争や津波で夫を失った女性など、もっとも困窮している女性たちが自立して生活できるよう、生計手段の獲得につながる物資を配布するセレモニーに立ちあった。織物産業が盛んなマルダムナイでは、生計手段を失った女性たちに織機10台を提供するセレモニーに立ち会った。
支援物資の配布のさい、支援を受ける女性たちに向かってニマルカ理事長が話している内容で、どういうことに気を使って活動しているのかがわかる。ニマルカ理事長は「与える者 || 与えられる者」という関係を築かず、女性たちが主体になってとりくんでいく材料として、物資を受け取ることの意味を考えてもらうようていねいに話し、物資を渡している。
たとえば、「少数民族に属する女性、紛争で痛みを受けてきた女性、ムスリムの女性など、一番痛みを受けてきたあなたたちの存在を私たちは忘れていない。スリランカを平和な国にしていくためには、シンハラ、タミル、ムスリムの女性同士がおたがいの理解にもとづき、平和づくりの中心にならなければいけない。支援物資は、あなたたちが自分たちの生活を取り戻す道具として提供しているので、慈善でやっているのではない。これらの物資をもとに、自主的にグループを作り、恒常的に力をもってとりくんでいけるよう望んでいる」というふうに伝える。すると、物資を受け取る女性たちは、ニマルカ理事長の話をきちっと受けとめてくれる。この関係が、IMADRからの支援で作れているとすれば、長期的なものにしていけたらいいなあと思う。
「女性の当事者運動の立ち上がりを支援する」と口にするのは簡単だが、実行するのは大変だ。ニマルカ理事長たちは、日常生活を立て直していくために何が必要なのかという問題を女性たちがみずから考えて、それを支援していくというプロセスを作っている。1人ひとりやりたいこと、やってきたことが違うので、ニーズが違う。それをきめ細かい配慮でていねいに聞き取りをして、人を特定して、物資を調達して、配布している。
自立に必要なものは、織機や精米機、にわとり小屋、冷蔵庫、ミシンなどさまざまで、調達するのは大変だが、1人ひとりのニーズにあった支援をおこなっていた。同じ物資を一斉に配布することは、運動づくりにはならない。長期的な関係をつくるうえで、自分たちの生活をどうしようかと主体的に考えるプロセスがなかったら、支援を受け取るだけになってしまう。
このつぎの段階として、何が不足しているのかなどを確認し、それを当事者の声として、地域の行政にたいし要求をぶつけていく。
その要求は、津波からの復興にかかわるものから、日常的な差別によって起きている不平等を是正していくことをふくめたものになるだろう。そういうふうに、いまとりくまれている「被差別マイノリティ女性など排除された人びとの、当事者運動の立ち上がりを支援すること」は、「1つの希望」を現実化する作業だと思っている。当事者が自覚をもって、不平等や不正義を糾していく運動にかかわる1歩を築いていると感じている。
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