2002年という年は、約33年間続いた「特別措置法」が失効した年であるとともに、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高々と宣言した全国水平社創立80周年という年でもある。まさに新しい時代をむかえたといってよい。
その2002年の3月8日、人権擁護法案が閣議決定された。この人権擁護法案提案の背景にあるものとは、まず「部落解放基本法」制定にむけた17年間の成果ということであり、さらに、部落解放運動もその一翼をなす、反差別国際運動(IMADR)をはじめとした国際連帯活動の賜物であることはいうまでもない。
本書でこれまでに紹介してきたように、部落差別の実態は依然として厳しいものがあり、いくつかの事件の確認・糾弾会等からは、差別を受けた者の人権侵害に対する実効ある救済措置が焦眉の急として求められている。さらにまた、差別した加害者自身に対しても単に部落差別への理解を求めるだけでなく、人権の視点からの加害者自身に対する何らかの取り組みが必要であるという方向性が確認・糾弾会の中から見えてきており、今日の確認・糾弾会はまたひとつ進化してきている。
ところが、提案された人権擁護法案はこういった部落差別をはじめとする差別の撤廃と人権侵害の救済に真に役立つものとなっていない点が各方面から指摘され、国会においても実質的な審議入りができないまま次期国会への継続審議となっているのが現状である。具体的には、政府機関からの独立性の問題、人権委員会の構成ならびに地方事務所の体制の貧弱さ、報道の自由や表現の自由を脅かす危険性のあるメディア規制の条項についてや、「人権」や「差別の禁止」に関する規定の不十分さなどがあり、その抜本修正が強く求められる。今まさに正念場なのである。
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