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部落解放・人権研究所編『部落問題人権事典』より)
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【部落解放運動】

 部落差別による人権侵害に対して抵抗し,*基本的人権の回復・確立を求める運動。明治4年(1871)の*<解放令>によって封建的身分差別は法制度的には解消されたものの,それから100年以上が経過した今日においても,被差別部落出身者は,教育・労働・生活などの面においてなお劣位な状況におかれ,また国民意識のうえでも,差別と偏見にさらされている。こうした人権侵害状況を克服し,部落の完全解放を求める運動を部落解放運動という。

〈近代〉

 封建制身分社会にあっても,*渋染一揆に代表されるように,幕藩体制による差別法令に対して一部に抵抗運動はみられたが,全国的な運動に発展するのは,近代に入ってからである。その萌芽は*自由民権運動にあらわれ,さらに1890年代になると部落の有力者や官憲・地方行政家らによる*部落改善運動が全国で展開される。この運動は,部落差別の原因と責任を部落の側に求め,部落民が働き富を蓄え,環境を整備し清潔にし,教育を高め,品行をよくする等の努力により差別の克服をはかろうとするものであった。その後この運動は,社会に対して一定の反省を求めたうえで,国民に*同情融和を呼びかける*融和運動へと進む。

 これに対し部落民自身の団結と決起により差別を徹底的に糾弾することによって,部落を解放しようとしたのが,1922年(大正11)3月に結成された*全国水平社【ぜんこくすいへいしゃ】であり,今日の*部落解放同盟【ぶらくかいほうどうめい】に至る解放運動である。*全国水平社創立宣言は,それまでの同情融和の運動を排し,水平社運動を<人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動>と位置づけ,<人の世に熱あれ,人間に光あれ>と結び,人間解放の運動を呼びかけた。

 初期の水平社運動は,差別者個人に*糾弾が向けられた。しかし,差別に対する怒りや感情的行動が,国民の差別感情を助長するという悪循環を起こしたことも事実である。その反省を踏まえ,糾弾は貴族制度や軍隊など社会や国家に向けられた。*徳川家達辞爵勧告事件や*福岡連隊事件はその代表的な例である。その後,*全国水平社解消論が生まれたが,この階級闘争路線は非現実的ゆえに崩壊。33年(昭和8),全水第13回大会で打ち出された*部落委員会活動の方針と*高松差別裁判糾弾闘争は,部落大衆の要求と差別に対する怒りを組織することによって,解放運動を大きく発展させた。しかし,37年の日中全面戦争の勃発は,全水の方針を<挙国一致・戦争協力>へと転換させ,42年,全水は組織としては消滅するに至った。

〈戦後〉

 敗戦後,46年2月,戦前の融和運動家をも含め,*部落解放全国委員会【ぶらくかいほうぜんこくいいんかい】を結成。47年に初代参議院副議長に選出された*松本治一郎は,*カニの横ばい拒否事件や皇室経済会議における活動を通じて,*天皇制復活に対する厳しい姿勢を示した。このため松本は公職追放を受けるが,*松本治一郎公職追放反対運動により,戦後初期の部落解放運動のなかで一つの盛り上がりをみせた。51年に起こった*オール・ロマンス事件,翌52年に起こった*西川県議差別事件は,部落の差別的実態を放置しつづけてきた行政の責任を問うとともに,その後の解放運動が進むべき差別行政反対闘争の方向性を明確にした。

 55年,解放委は第10回大会において<部落解放同盟>と改称,大衆組織として新たに出発。各地では,教育現場における差別事件,水害復旧闘争,生活権奪還運動,住宅要求などを通じて,*差別行政糾弾闘争が盛り上がりをみせる一方,政府に対しては*国策樹立請願運動を展開。その成果は,65年に*同和対策審議会答申,それを受けて69年に*同和対策事業特別措置法の制定として結実する。これにより部落問題の解決を国・地方公共団体の責任とし,国民の課題とすることを明文化させた。部落解放運動は,これらの成果を基盤として,*同和対策事業特別措置法即時具体化要求国民運動,*同和対策事業特別措置法強化・延長要求国民運動に取り組む一方,63年に起こった*狭山事件に対する狭山差別裁判糾弾闘争,さらには75年に発覚した*<部落地名総鑑>に対する糾弾闘争を<三大闘争【さんだいとうそう】>と位置づけ,国民運動を展開した。しかし,この間,運動方針などをめぐって,60年には*全日本同和会が,76年には*全国部落解放運動連合会が解放同盟より分裂,さらに86年には*全国自由同和会が結成されている。その結果,今日,少なからず*同和行政や*同和教育に混乱をもたらすという不幸な状況を生んでいる。

〈国民的運動として〉

 部落民自身による自主的な運動として出発した解放運動は,戦後の運動の発展のなかで,国民運動として大きく飛躍してきた。たとえば,教育面においては,52年に*全国同和教育研究協議会が発足。教育現場における差別事件はもちろん,部落児童の*長欠・不就学や*非行の問題,*教科書ならびに教育の無償化や奨学金制度の充実による教育の機会均等の実現,同和教育の推進などに取り組み,戦後の解放教育運動の前進に大きな役割を果たしてきた。75年には総評と解放同盟を中心として,*部落解放中央共闘会議を結成,77年には,<部落解放なくして労働者の解放はなく,労働者の解放なくして部落解放はない>を中心スローガンに,*部落解放地方共闘全国連絡会議が結成された。解放運動と労働運動との団結は日本の人権確立の重要な基礎の一つである。また79年の*世界宗教者平和会議における町田宗夫曹洞宗宗務総長の差別発言事件以来,日本宗教界全体の問題として部落問題がとりあげられ,81年に<*『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議>という宗教史上画期的な組織を生み出した。企業における部落問題の取り組みは,75年の<部落地名総鑑>差別事件の発生以来,東京・大阪の<*同和問題企業連絡会>をはじめ,従業員100人以上の日本の企業すべてに*企業内同和問題研修推進員をおくよう労働省が義務づけたことなど,企業の社会的責任を高めている。*大学における同和教育・研究の進展は非常に遅れてきたが,83年には*全国大学同和教育研究協議会の発足をみた。このほか,地域での人権草の根運動や地区懇談会など,市民との連帯による差別撤廃のための運動が全国で展開されている。また,アイヌ民族,在日韓国・朝鮮人,障害者,女性など,国内の反差別運動との*反差別共同闘争も推進された。

 国際連帯の活動においても,*国際人権規約,*女性差別撤廃条約,*人種差別撤廃条約などの批准促進運動の中心に解放同盟が位置している。80年の*国際人権シンポジウムの開催,82年の*反差別国際会議の開催など,世界各国の反差別団体との交流・連帯を深め,その活動の集大成ともいうべきものとして,88年に*反差別国際運動(IMADR)を結成した。

〈今日の部落解放運動〉

 69年の同対法制定以降,30年以上にわたり同和対策事業が実施されてきた結果,住環境の改善など一定の成果をあげたとはいえ,部落に対して根強く残る偏見・差別など,残された課題は多い。解放同盟は,85年に部落解放基本法案を発表,この法律の制定を求めて*部落解放基本法制定要求国民運動を展開するとともに,地方自治体段階における部落差別の撤廃および人権擁護についての条例制定・宣言採択運動に取り組んできた。96年(平成8),政府は*人権擁護施策推進法を制定し,法務省に*人権擁護推進審議会を設置した。差別を根絶するために効力のある法律の制定が求められている。

 今日,解放同盟を中心とする部落解放運動は,日本社会における<イエ意識><貴賤・ケガレ>意識などの差別文化の克服や,人権・福祉・環境を柱とした闘いも展開している。周辺地域との連帯交流を推進し,*共生のネットワークを構築しつつある。解放同盟は,このような今日の運動を*<第3期>の部落解放運動【だいさんきのぶらくかいほううんどう】ととらえている。世界平和と地球環境を守り,人権文化の創造をめざした部落解放運動の展開が求められている。

(村越末男)