講座・講演録

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2003.10.14
講座・講演録
第34回部落解放・人権夏期講座(2003.08.20)より

部落解放運動をとりまく現状と課題

松岡 徹(部落解放同盟中央本部書記長)

はじめに


  部落解放運動は、全国水平社が創立してから、今年で81年を迎えました。この81年の歴史の中で、さまざまな大きな節目がありました。今は戦後の中でも第2番目の転換の時代、節目の時代にきていると認識しています。大きな節目のきっかけとしては、2002年3月31日をもって、33年間続いた同和対策事業特別措置法が期限切れを迎えたことです。これは、この大きな転換を象徴することです。問題は、どういう方向に転換していくのかが、若干、混迷しているということだと思っています。


部落解放同盟のよってたつ場所

  現在、大事な時期であるにもかかわらず、環境としては厳しい状況があります。われわれ部落解放同盟は、戦争こそが最大の人権侵害であり、差別をなくすことが平和を築く大事な課題である、と位置付け、差別撤廃の闘いを進めてきました。様々なところで成果をあげてきたことは事実ですが、近年の世界の情勢不安により、日本には新国権主義の勢力が台頭してきています。この状態を、非常に危惧しています。

  こういった新国権主義は、私たち部落解放運動と、真っ向から対立する勢力であると思っています。私たちは、それと正面切って闘うことは、重要な課題であると位置付け取り組んでいます。


部落解放同盟のめざすべき方向

  33年間続いた特別措置法に基づく同和行政や施策は、大きな成果をあげたと同時にさまざまな欠陥をも生んできました。それを、しっかりと認識し、見つめなおす必要があるという立場で、私たちがめざすべき方向を、新たな新同和行政推進の課題として提案してきました。

  これからの同和行政が何であるのかを、本質からとらえ直していこう、そして新たな同和行政の創造へ取り組んでいこうと提案し確認をしてきました。本質とは、同和行政の本来の目的は何であったのか、ということです。それは、まさに部落差別を解決していくことです。さまざまな事業・施策を通じて差別をなくしていこうというのが本来の考え方です。ところが、特別措置法が期限切れを迎えた現在、いくつかのところでさまざまな混迷が起こっています。33年続いた特別措置法が切れたことによって、同和行政を店じまいしようとする行政が出てきています。

  同和対策に取り組む全国各地の自治体の協議会である全国同和対策協議会(同対協)が全国人権同和行政促進協議会と、2002年、名称を新たにしました。その団体組織から脱退するいくつかの自治体が、2002年、法期限切れと同時に、出てきました。また、脱退はしないものの同和行政を店じまいしようとする動きが出てきています。

  新同和行政における、私たちの方向は、差別の現実に立脚して、そこから手立てを打ち出していく方向を見出していこう。そのときに、これまでのさまざまな成果を、これからの課題に引き継いでいこう。33年続いた同和行政の1つの大きな成果は、部落問題が部落の問題ではなく、私たち社会の問題としてとらえられるまでに成長してきたことです。すなわち、人権という普遍的テーマで部落問題をも捉えていこうという時代になってきたことです。

  私たちは、部落問題だけが日本社会で解決することはありえない、部落問題が解決するということは、他の被差別の課題も解決していく関係にあると理解しています。したがって、人権という普遍的なテーマが社会の大事な課題になって取り組まれていくことは、部落問題解決につながっていく展望をそこに見出していくことができるという立場を、私たちはとっています。

  そこで、問題になってくるのは、部落差別の現実、実態は、どのようなものかということです。それをつかむことが大事になってきます。私たちは、これまでも、「部落差別の実態」を、社会に対して、行政に対して、国に対して訴えてきました。

  1つは、差別事件を通して訴えてきました。地名総鑑事件、差別戒名事件、身元調査事件、就職差別事件、結婚差別事件を通して、さまざまなことを社会に問うてきましたし、行政に問題提起をしてきました。差別事件の1つひとつが部落差別の実態として、私たちは認識することができました。

  もう1つの視点は、部落の実態です。すなわち同和地区の環境の悪さ、同和地区住民の生活の実態を訴えてきました。たとえば高校進学率の低さ、不安定就労率、上下水道はもとより住環境の劣悪さを訴えてきました。その劣悪な住環境は、差別の結果が生んできたことは言うまでもないことです。だからこそ、「部落差別は、いまなおこんなに厳しいのだ」と認識することができたわけです。

  そして、もう1つは社会の差別意識を訴えてきました。国民の県民の、市民の差別意識を訴えてきました。国民の同和問題に関する意識調査をしたら、33年前では、「部落の人たちは民族がちがう」と答えた人は3割を超えていました。あるいは、体温が低いとか、血が黒いとか、犯罪者ばかりだとか、そういった部落に対する間違った国民の意識が、部落差別を生む要因、原因になっている、と私たちは訴えてきました。だから、部落問題は、日本社会が作り出してきた差別構造であることを、すべての国民が理解すれば、部落問題を解決できるのではないか。逆に、そういった間違った意識の国民が多数を占めれば、部落差別を温存助長し育てていく実態になっていると訴えてきました。

  これからの新しい同和行政の視点では、新たに2つの視点を加えることを私たちは提案しています。そのひとつは、部落外の、国民の側の差別意識を支えている、国民の実態は、どういうものなのか。なぜ、間違った考え方をもつ国民が、今も生まれているのか。それを生み出す環境は、部落にあるのではなく、一般の国民の人たちの身近な実態の中にあるのではないか。すなわち、国民の意識を知るだけではなく、実態をしっかりと見ていく必要があるということです。これは、さまざまな差別事件で指摘してきました。

  そして部落差別を受ける被差別の人たちの意識をしっかりと、とらえていく必要があることを私たちは感じています。被差別の人たちの意識が、問題を問題としてとらえられないような意識、状況であれば、その被差別の人たちが差別を見えなくさせられている環境にいるといえるのです。被差別の人たちの実態と同じように意識も、視野に入れていくことによって、差別が見えてくると私たちは考えています。


人権のまちづくり運動をしよう

 

  もう1つ、私たち部落解放同盟が新たに提起していることは「人権のまちづくり運動をしよう」ということです。今までのように同和地区と同和地区住民のための施策ではなく、同和地区を含む周辺のまちが、すべての人たちにとって住みよいまちをめざしていこう、というものです。

 部落問題は、同和地区という地域に対する差別です。同和地区があるから、部落民か部落民ではないかが選別できるのです。しかし、私たちは同和地区を捨てることができません。地区を消し去ることはできません。それを支えているのは、戸籍制度です。だからこそ、身元調査や地名総鑑という差別事件が起きてくるのです。

  だから「人権のまちづくり運動」では私たちのまちも含めて、そのまちがすべての人びとにとって、住みよいまちになる運動です。差別とは、人間と人間の関係性を断ち切ることです。人間と人間の豊かな関係性を作っていくことが、差別をなくしていく視点だと思っています。


実効性のある人権擁護法案の成立を求めて

  これまで提起してきたことを支えるためには、日本の国における、人権に関する法制度の充実が課題になってきます。具体的には、人権擁護法案の抜本修正の取り組みです。

  この人権擁護法案を提案させるに至った背景に、1つは部落解放基本法制定要求を取り組んできた多くの国民運動の成果があります。私たちは、18年前から、一定の案を作って部落解放基本法を国に提案してきました。

  18年前に、特別措置法ではなく部落問題を解決する総合的な視点をもった基本法を作るべきだ、事業を中心にした同和地区と同和地区住民だけを対象にした法律では部落問題は解決しないと訴えてきました。その中の理念の1つが、救済法です。

  日本国憲法では「差別はされない」と謳われながら、さまざまな差別があります。差別を受けた者は、なんら救済の措置もなく、泣き寝入りする。そして、その差別を規制する法律もないのです。私たちは部落解放基本法の中に、部落問題解決のために悪質な差別を規制する、それによって被害を受けた人を救済するという規制・救済法をつくるべきだ、という理念を入れてきました。この18年の積み重ねの末に、部落問題に限った法律ではなく、部落問題をも含んだ、さまざまな他の被差別の課題をも解決するような人権擁護法案というかたちで政府は提案してきました。

 もう1つの背景は、国際的な人権潮流の後押しがあります。女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約の批准加入など、さまざまな国連を中心とする人権諸条約を、日本の国は批准をしてきました。それは国連関係の諸条約を批准しなければ、日本は国際的に孤立する、という背景があるからです。

  国際的な条約を批准すれば、日本政府は、その条約に対応する国内法を整備しなければならない責務を負います。女性差別撤廃条約を批准したとき、その国内法として男女共同参画基本法が整備されました。人種差別撤廃条約を批准したとき、日本政府は、それに対応する法律を整備していく必要がありました。それに対応する法律として、人権擁護法案を出してきました。

 すなわち、この人権擁護法案は、部落問題の解決に責任をもっているし、国際的な人権潮流に責任をもっているということです。


救済法である人権擁護法

 

  人権擁護法案は救済法です。今、お話したような背景からすれば、国際的な評価にも耐えうる法律そして部落問題や他の差別をも解決するような実効性のある内容を、私たちは期待していました。ところが2002年3月に出された法案の内容は、残念ながら、それらに対応するものにはなっていませんでした。

  救済法の大事な点は、いったい誰が救済するのか、という点です。人権侵害を受けた人を救済するのは、政府に属さない独立した機関、人権委員会が救済を担っていくことが大事です。これは国連のパリ原則で確認されたことの1つです。しかし、現在の人権擁護法案では、人権委員会の所管は法務省になっています。国の機関である法務省が所管すれば、当然、独立性を保つことがむずかしく、正しい救済はできません。


人権侵害のパターンと救済方法

  そこで問題になってくるのは、人権侵害のパターンです。それは2つあります。1つは公権力が私人に対しておこなう人権侵害です。ちょうど2002年、臨時国会の時期に、名古屋刑務所事件が起こりました。刑務所は法務省の矯正局というところが所管しています。

  名古屋刑務所の職員が、入監者に高圧の水をかけて死なせた、皮手錠をかけて人権侵害をしているという報道がありました。この事件をきっかけに、日本全国の刑務所や少年院で刑務官あるいは法務省矯正局職員から、さまざまな酷使された環境の中に入監者がおかれ死亡する事件が後を絶たなかったことが世論をにぎわしました。これは明らかな人権侵害です。あるいは入管局でも、「不法外国人」あるいは、海外の人たちに対し、さまざまな人権侵害が起こっています。

  このように公の仕事についている職員が、公権力を実行できる立場をとって、私人を人権侵害するということが起きているのです。こういった人権侵害も救済するような人権委員会にするためには、国家から独立したものにしなければならないのです。

  もう1つの人権侵害は、私人間で起きるものです。身近な生活圏域である地域、学校、職場で起きる人権侵害です。そのときの主たる救済方法は、裁判で白黒つけるのではなく、相談し、さまざまなケアをし、支えあい、そして説得し、理解しあうという関係が必要です。これがなかったら、コミュニティは潰れていきます。

  私人間の人権侵害を救済する人権委員会は、身近な地域になければならないのです。少なくとも都道府県にそれぞれ1つずつの人権委員会を設置すべきだと私たちは求めています。それと、地方行政がやろうとしている人権行政とが結びついた有機的な救済機能ができる、と考えています。


人権擁護法案の修正を求める

 しかし、2002年の154通常国会では、人権擁護法案は1回も審議されず、9月の臨時国会で継続審議となりました。そして155臨時国会が召集され、人権擁護法案は2回審議され、継続審議となりました。そして2003年1月に召集された156通常国会で、人権擁護法案は、また継続になりました。この156通常国会は7月28日に会期末を迎えましたが、人権擁護法案はまた継続審議になりました。

  2002年8月、9月、人権擁護法案を作った法務省の人権擁護局長と、私は解放同盟の代表の1人として「なぜ、修正できないのか」を8回にわたって話し合いをもってきました。局長は「中央の人権委員会を設置して独立委員会を作っても、結局、国民を救済するのは、国がやるのです」と言われました。彼らは、まさに国権主義、あるいは国家統制です。すなわち法務省が「人権とはここまで」と決めるということです。それをしたら、その段階でその枠から外れる人たちに対しては人権侵害が起こるのです。私たちと人権というもののとらえ方が、まったく違うわけです。われわれは1人ひとりの人権は、国に統括されているのではない、ととらえています。人間社会がどんどんゆたかになればなるほど、人権の基準や考え方、内容が豊かになっていくものです。だから、人権というのは生き物です。社会が成長していく中で、今まで光があたらなかったところにまで光があてられていくことが、これからもありえるのです。だから、人権を普遍的にとらえる機能をもった独立した人権委員会が必要なのです。そこで決定的に決裂し、2002年の臨時国会も継続審議になりました。

  私たちは、せめて法務省から、すべての省庁を所管している内閣府へ人権委員会の所管を変えるように主張しています。この問題を扱う与党の窓口は、与党人権問題懇話会です。ここの最高顧問は野中広務さんです。私は何回か野中さんと会い、なぜ内閣府へ所管変えをすることを反対されるのかをたずねました。野中さんは「人権擁護法は大事な法律だと思っている。大事な法律だからこそ、金もない人もいない組織もない内閣府にもっていけば、絵に描いた餅になってしまう。だから法務省に」と言われました。私たちは「そんな大事な法律ならば、人も金も組織も付けて、内閣府へもっていけばよい。どうせ法務省で所管するにしても予算も人も付けなければいけない」と申し上げたが、歩み寄りはできませんでした。

 もう1つの論点である地方人権委員会の設置の問題について、野中さんたちの反対理由は「地方の自治体が地方人権委員会の設置をしてくれとは言っていない。むしろ、いらないと言っているから」というものです。私たちは「それは間違いです。地方は独自に救済のシステムをどうするかと研究を始めていますよ」と申し上げたのです。このようなすれ違いがあります。

 そして7月28日に、与党も人権擁護法案は大事な法律であると認め、若干の修正が必要であると確認もしました。しかし、その修正の中身は、私たちが考えている内容と大きな隔たりがあります。したがって、また秋の臨時国会へ継続審議になったわけです。

 この人権擁護法案を、私たちが求めているような法律案に抜本修正の取り組みをしていきたいと思っています。

もう1つの重要な課題は、狭山の闘いです。2002年5月23日に、石川一雄さんが逮捕され40年を迎えてしまいました。

 現在、第2次再審の特別抗告審の闘いをしています。弁護団は9月30日に最終補充書を提出します。私たちが明らかに石川一雄さんが無罪だと証明しているにもかかわらず、1度の審議もされていないために、その議論がすすみません。これまでも、弁護団が新しい証拠を提出してきましたが、裁判所はそれをとりあげませんでした。また、検察庁は狭山事件の証拠を28年間、1度も開示していません。この証拠を開示し検討してくれれば、石川一雄さんの無罪は明らかだと私たちは思っています。

 現在の司法制度改革では、裁判をスピードアップするために、弁護団と検察側がもっている証拠をお互いに出し合うことをルール化しようという議論がされています。これがルール化されれば、狭山事件の28年間開示されない証拠も開示されることになります。私たちは日弁連をはじめ多くの人たちとともに、そのルール化を求める署名運動をしています。秋の臨時国会にむけて、その請願をしていきます。日本の司法制度が民主化されれば、私たちの狭山事件も、新たな視点で改めて審議されます。そうすれば、狭山事件の再審開始の扉への道が開かれると思っています。

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