はじめに
(1)人権擁護法案が提案された背景
- 第154通常国会が開催されていた2002年3月8日に、「人権擁護法案」が閣議決定され、政府提案として国会に上程されました。これは、直接的には、2001年の人権擁護審議会の答申を受けて提案されたものであると同時に、1998年の国連の自由権規約委員会からの国内人権機関の早期設置の勧告をはじめとする一連の諸条約機関からの強い勧告に促されての提案でありました。
- とりわけ、人権擁護推進審議会の答申である「人権救済制度の在り方について」と「人権擁護委員制度の改革について」は、多くの不十分点をもってはいるものの、部落解放運動が1985年より17年間の長きにわたって取り組んできた国民的な広がりを持った「部落解放基本法」制定運動の成果の一つの反映として勝ち取られたものでした。
もちろん、この成果は、1965年の同対審答申の具体的施策として提示されていた「人権問題に関する対策」の37年ぶりの具体化でもありました。したがって、この人権擁護審議会の答申を受けて提案された「人権擁護法案」は、同対審答申の基本精神に則った部落解放基本法の規制・救済法的部分を具体化する法律として、その早期制定を私たちは強く望んでいました。
(2)人権擁護法案の抜本修正を求める取り組み
- しかし、実際に提案されてきた「人権擁護法案」は、独立性や実効性の欠如、メディア規制などをはじめ、多くの問題点を孕んだ重大な欠陥法案であり、国内人権機関に関する国際的な合意事項であり日本政府も賛成した「パリ原則」からも大きく逸脱するものであり、到底容認することのできない代物でした。
- 私たちは、直ちに法曹界やマスメディア界、人権NGOなどの広範な各界の団体・個人とともに、『異議あり!人権擁護法案緊急アピール行動』を持続的に展開してきました。さらに、『人権擁護法案・抜本修正への提案』の冊子で法案の問題点を徹底的に明らかにして、抜本修正への建設的な提案を行ってきました。
- 私たちの人権擁護法案の抜本修正を求める粘り強い取り組みは、全国的にも大きな広がりをもち、与野党の各党や政府関係者に対しても浸透していきました。さらには、国連人権高等弁務官事務所や韓国人権委員会・タイ人権委員会の関係者が来日され、国際的な世論としても強力なバックアップがなされました。
とりわけ、「人権擁護法案」が国会審議の山場にかかろうとしている今年4月には、国連人権委員会第59会期において、アジア太平洋地域国内人権機関フォーラムのアナンド議長(インド国家人権委員会委員長)が、日本の「人権擁護法案」への強い懸念と助言の表明をしていただいたことは、私たちにとっても非常に心強いものでした。
(3)四たびの国会での継続審議
- 昨年の国会上程以降、政府原案のままで「人権擁護法案」の国会通過を図ろうとした政府・与党と抜本修正を求める野党3党との間で緊張した国会運営が続けられてきました。
- 結局、昨年の第154通常国会から今年の第157臨時国会に至るまでの4回にわたって継続審議がなされましたが、10月10日の衆議院解散に伴い「人権擁護法案」は自動廃案の扱いとなったことは周知のとおりです。
1.人権擁護法案の廃案を乗り越えて
(1)人権擁護法案廃案への対応
- 私たちは、「廃案」という事態に対して、抜本修正を勝ち取ることができなかったという意味において非常に残念であるという思いはあるものの、しかし、決して落胆をしているわけではありません。
- 私たちは、『廃案を求めず!廃案を恐れず!徹底して抜本修正を求める!』という合い言葉のもとに、人権擁護法案の抜本修正を求めつつ早期成立をめざす闘いを一貫して展開してきました。
- それは、「人権擁護法案」が提案されてきた背景と歴史的経過を考えるならば、法案の意義は極めて重要であり、安易で無責任な「廃案」要求はできないということでした。同時に、もう一方で抜本修正がなされないままの欠陥法案で成立させることは断じて認められないという立場を明らかにしたものでした。
- この姿勢を堅持した取り組みが、今後の取り組みへつながる多くの成果を勝ち取ってきたことは疑う余地がないと考えています。
(2)人権擁護法案の抜本修正を求めた取り組みの到達点
- この2年間の闘いは、結果として「人権擁護法案」の抜本修正を勝ち取るまでには至らず廃案となりましたが、重大な欠陥法案であるにもかかわらず政府提案で強硬成立を図ろうとした政府・与党の一部の頑なな姿勢を揺るがし、「人権侵害救済に関する新規立法」への政治的・社会的条件を創り出すことに成功したと言えます。
- そこで、新規立法運動を直ちに展開して行くことを提案するにあたって、「人権擁護法案」の抜本修正を求めた2年間の闘いの到達点を確認しておきたいと思います。
まず第1に、「人権擁護法案」の問題点について、独立性や実効性の観点から余すところなく批判を行い、抜本修正を求める2万1千を越える各界代表者署名に見られるように、大きな社会的世論を創り上げることができたということです。
第2に、人権委員会創設を中心とする人権侵害救済に関する法律の必要性について、国会レベルでも「大事な法案である」との政治的な合意形成ができたことです。
第3に、与野党修正協議のテーブル設定ができ、遅々としたものであれ修正への気運を創り上げることができたことです。
第4に、「人権擁護法案」の動向に関して、国連人権諸条約機関が日本政府に対して具体的に「懸念」と「勧告」を表明するなど国際的な注目・監視を集めることができたことです。
úK.人権侵害救済に関する新規立法への根拠
(1)新規立法運動の根拠の確認
- 私たちは、以上のような人権擁護法案の抜本修正を求めた闘いの到達点を継承しながら、パリ原則にもとづく「人権侵害救済に関する法律」の早期制定を求める運動に直ちに着手していかなければなりません。
- 今日時点における新規立法要求の根拠は、次の3点であることを確認しておきたいと思います。
(2)第1の根拠=人権擁護推進審議会答申(政府責任)
- 第1の根拠は、2001年の人権擁護推進審議会答申です。すなわち、政府(法務大臣)の諮問に対して、人権擁護推進審議会は「人権救済制度の在り方について」と「人権擁護委員制度の改革について」の二つの答申を行いました。
- これらの答申を受けて、「人権擁護法案」は閣法として政府提案されましたが、最終的に廃案となったわけですから、政府責任としては人権擁護推進審議会答申を具体化するために再提案する義務があるということです。
(3)第2の根拠=国連人権諸条約機関からの勧告(国際的責務)
- 第2は、国連人権諸条約機関からの日本政府に対する勧告です。規約人権委員会、人種差別撤廃委員会、子どもの権利委員会、女性差別撤廃委員会などから、相次いでパリ原則にもとづ国内人権機関である「人権委員会」の早期設置や「差別禁止法」制定についての強い勧告がなされており、この勧告を誠実に履行することは人権確立にかかわる国際的責務であるということです。なお、1996年の地域改善対策協議会が、『国際社会におけるわが国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内において、同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である」という意見具申を行っていることも想起すべきです。
- 因みに、国連人権諸条約機関からの日本政府に対する勧告状況は、以下のようになっています。
1998年 |
|
自由権規約委員会・最終見解(国内人権機関設立への勧告) |
1998年 |
|
子どもの権利委員会・総括所見(差別禁止法制定への勧告) |
2001年 |
|
社会権規約委員会・最終所見(パリ原則に基づく国内人権機関の早期設立への勧告および差別禁止法立法の強化への勧告) |
2001年 |
|
人種差別撤廃委員会・最終所見
(差別禁止法制定および国内人権機関の整備への勧告) |
2003年 |
|
女性差別撤廃委員会・最終所見
(人権擁護法案への懸念とパリ原則にもとづく人権委員会の独立性確保への勧告)
|
(4)第3の根拠=与野党協議の合意事項(政治責任)
- 第3は、人権擁護法案に関する与野党修正協議における合意事項です。すなわち、人権委員会の設立を中心とする人権侵害救済に関する法律を制定することは「大事」であり、政府原案である「人権擁護法案は修正する必要」があったという政治責任にかかわっての合意事項です。
- 政治の枠組みや状況がどのようなものになるにせよ、当時の与党(自民党・公明党・保守新党)と野党(民主党・自由党・社民党)が公党として、与野党協議という公的な場で修正協議を行い、合意に達した事項は後退することなく政治的信義において履行されなければならないということは、言を待たないところです。
úL.人権侵害救済に関する法律制定への基本方向と当面の課題
(1)新規立法運動の基本方向
- 私たちは、人権擁護法案の抜本修正を求めた闘いの到達点および新規立法の3つの根拠を踏まえて、引き続き新たな「人権侵害救済に関する法律」制定への運動を展開していく決意です。
- この新規立法運動の基本方向は、次のように考えています。
第1に、人権委員会創設を中心とする人権侵害救済に関する法律は、これまでの経過を踏まえながら、国の政治的責任および人権確立に関する国際的責務において、早期制定を行うように求めていくことです。
第2に、今までの「人権擁護法案」をめぐる経過を踏まえて、政府機関からの独立性を確保するために、「パリ原則」を踏まえ、創設する人権委員会を内閣府の外局である「3条委員会」として設置するように求めていくことです。
第3に、人権侵害の被害救済が迅速かつ効果的に実施されるような実効性を確保するために、都道府県ごとに地方人権委員会の設置を求めていくことです。
第4に、国や都道府県において設置される人権委員会の委員および事務局には、人権問題・差別問題に精通した人材を、それぞれの人権委員会が多様性・多元性に配慮して独自に採用することです。
第5に、人権委員会は、マスメディアの取材や報道に対する規制、さらにはさまざまな人権団体の取り組む自主的な活動への不当な妨害をすることなく、十分な連携をとりながら活動することです。
第6に、人権擁護委員制度については、抜本的な制度改革を行い、国や都道府県に設置される人権委員会と十分連携を取りながら、地域での効果的な活動ができるようにすることです。
(2)当面する取り組み課題についての提案
- 私たちは、以上のような基本方向にもとづき、政府提案にするのか議員立法にするのかの立法手段を慎重に見定めながら、「人権侵害救済に関する法律」の早期制定をめざしていきます。
- そして、どのような立法手段を選択にするにしても、次のような当面の課題に対する取り組みを推し進めていく必要があります。
第1に、新規立法運動を牽引していく超党派の国会議員の中核作りへの働きかけを強化していくことです。
第2に、パリ原則にもとづく人権委員会の創設を中心とする「人権侵害救済に関する法律」の早期制定を求める声を各界に拡大していく取り組みを行っていきます。
第3に、地方自治体における「地方人権委員会」設置への先行的取り組みを促進していきます。既に実施されてきた全国人権同和行政促進協議会とのブロック別意見交換会の成果を踏まえ、鳥取県や大阪府の取り組みを先例にして、各都府県ごとの地方人権委員会設置への動きをつくり出していくことは急務であると考えています。
(3)「国内人権機関に関するアジア太平洋地域セミナー」への期待と決意
- 私たちは、本セミナーにおいて、日本における人権の法制度確立の礎ともなる人権委員会創設を中心とする「人権侵害救済に関する法律」の制定に向けて、遠路来日いただきました海外ゲストの皆さんから有効なご意見・ご助言をいただき、国際的にも恥じないような法制定を責任を持って実現していきたいと考えています。同時に、私たちは、本日の取り組みを契機にして、アジア太平洋地域の仲間と固く連帯の絆を強めながら、国際人権の確立のために尽力をしていく決意です。
- また、日本の人権の法制度の実現状況に強い関心と配慮をいただいていた国連のデメロ人権高等弁務官がイラク戦争下での公務中に尊い命を落とされたことに、深い哀悼の意を表するとともに、平和と人権確立への取り組みの強化を一層誓いたいと思います。 そのことと関連して、今年9月にネパールのカトマンズで開催予定であった「アジア太平洋国内人権機関フォーラム(APF)総会」が延期された厳しい状況にもかかわらず、快く本セミナーへの参加をいただきました御三方に心より感謝を申し上げます。
最後に、私たちの都合で来日していただくことはできませんでしたが、本セミナーへの積極的な参加の意思を表明していただきました、タイ、モンゴル、フィジー、オーストラリアの各国人権委員会の方々にもお礼を申し上げ、基調発題を終えたいと思います。
|