「法案」に対する明らかな誤認
本年三月一一日の産経新聞「正論」に西尾幹二氏が、「『人権擁護法』の国会提出を許すな」「自由社会の常識覆す異常な法案」と題して、反対の見解を表明されていた。その論旨を見て率直に驚きを隠せなかった。日本を代表するマスメディアもここまで来たかという感覚を抱いたのは私だけではないだろう。私は内心の自由や表現の自由を極めて重要な自由だと認識している。しかし彼の主張には「法案」に対する明らかな誤認が存在している。それを正論として主張し、主要なマスメディアが堂々と掲載していることに驚いているのである。
私たちから見ればこの「法案」は、これまでにも述べてきたように全く逆の意味で不充分なものであり、多くの問題点を持っており、この法案をそのまま擁護するつもりは毛頭ない。人権委員会の独立性、実効性の問題、メディア規制が存在していることなど、この法案が抱えている多くの問題点をこれまでから機会あるごとに指摘してきた。それでも、もしこの「法案」が西尾氏が言うように「自由社会の常識覆す異常な法案」であるなら、アジア諸国や欧米諸国で制定されている「人権法」は全て異常な法案ということになるだろう。
西尾幹二氏の冒頭の主張
以下、西尾氏の引用が長くなるが、彼の主張していることを正確に紹介しなければ反論することもできないのでご容赦願いたい。
すでに部落解放・人権政策確立要求中央実行委員会や法務省からも反論要旨が明らかにされており、それらの内容も包含しつつ、誌面の関係もあって西尾氏主張の問題点の一部だけを明らかにしておきたい。
彼はまず「国会に上程が予定されている『人権擁護法』が今の法案のまま成立したら、次のような事態が発生するであろう」として「核を背景にした北朝鮮の横暴が日増しに増大しながら政府が経済制裁ひとつできない現状がずっと続いたとする。業を煮やした拉致被害者の家族の一人が政府と北朝鮮を非難する声明を出した。すると今までと違って、北朝鮮系の人たちが手をつないで輪になり、『不当な差別だ』『人権侵害は許せない』と口々に叫んだとする。直ちに『人権擁護法』第五条に基づく人権委員会は調査を開始する。第四十四条によってその拉致被害者家族の出頭を求め、自宅に立ち入り検査して文書その他の物件を押収し、彼の今後の政治発言を禁じるであろう。第二十二条によって委嘱された人権擁護委員は北朝鮮系の人で占められている場合がある」と述べられている。
外国政府を非難すれば人権侵害になるか
もし彼の主張通りだとすれば、私たちも人権擁護法が制定されたら日本政府や人権侵害をしている外国政府を非難すれば「直ちに『人権擁護法』第五条に基づく人権委員会は調査を開始」し、「第四十四条によって出頭を求め」られ、「自宅に立ち入り検査して文書その他の物件を押収」され、「今後の政治発言を禁じ」られることになる。これでは「人権擁護法」ではなく、「人権弾圧法」であり、「治安維持法」である。
私はこの見解を読んで、二〇年前の「大阪府部落差別調査等規制等条例」が制定されようとしていたときの日本共産党の主張を思い出した。彼らはこの「規制条例」を「部落解放同盟の『治安維持法版』」と題した主張を掲げて反対していた。その後の二〇年は、それが完全な誤りであることを実証したが、今回の西尾氏の主張も同様である。政治的立場を全く異にする両者が同じような批判をするというのは何らかの共通点があるからだろう。
「法案」の無理解かデマゴギーか
まず、西尾氏の主張の決定的な誤りは、「政府と北朝鮮を非難する声明を出す」ことが「不当な差別」「人権侵害」にあたるという点である。
「法案」が「不当な差別」、「人権侵害」として禁止し、救済の対象にしているのは、特定の者に対してであり、自国政府や外国政府を非難する声明を出したからといって救済の対象とはならない。
例えば特別救済の対象となる第三条二(イ)の条文は、「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」であり、どのように解釈しても「北朝鮮を非難する声明」が、特別救済の対象にならないことは明白である。それを「法案」が特別救済の前提にしている「不当な差別」、「人権侵害」として規定しているかのごとく主張するのは、全く「法案」を理解していないか、悪意に満ちたデマゴギーとしか考えられない。誤った法律解釈のもとに「法案」を非難することは「正論」とはいえない。
「勧告」する権限はあっても「禁じる」権限はない
また、彼は誤った「法案」理解のもとに「直ちに『人権擁護法』第五条に基づく人権委員会は調査を開始する」として、いかにも人権委員会の調査が不当で強引なものであるという印象を作り上げている。しかし、「不当な差別」でも「人権侵害」でもない言動に「人権擁護法」第五条に基づく人権委員会が、「第四十四条によってその拉致被害者家族の出頭を求め、自宅に立ち入り検査して文書その他の物件を押収し、彼の今後の政治発言を禁じる」ことを求めて「調査を開始する」ことなどあり得ない。一つの団体が「不当な差別だ」、「人権侵害は許せない」と言ったから当該言動が「不当な差別」、「人権侵害」になるわけではない。
第四十四条は、特別救済手続を定めており、一般救済の規定ではない。ここにも「法案」に対する重大な誤認が存在する。先にも指摘したが「北朝鮮を非難する声明を出す」ことは、「不当な差別」でも「人権侵害」でもないし、むろん特別救済の対象でもない。よって特別救済手続しか認められていない「出頭を求め」ることも、「自宅に立ち入り検査して文書その他の物件を押収」することもできない。仮に特別救済手続でも「今後の政治発言を禁じる」権限など、どの条文にも記述されていない。あるのは「勧告」する権限であり、「禁じる」権限ではない。
救済手続の記述にも重大な誤り
さらに、「勧告」するときでさえ、第六十条二は「人権委員会は、前項の規定による勧告をしようとするときは、あらかじめ、当該勧告の対象となる者の意見を聞かなければならない」と定め、第六十一条では「当該勧告を受けた者がこれに従わないときは、その旨及び当該勧告の内容を公表することができる」と規定しており、従わないときですら「公表」する権限しか与えられていない。それだけではない。第六十一条二では「(前略)公表しようとするときは(中略)被害者及び当該公表の対象となる者の意見を聞かなければならない」と明記されているのである。
彼の「法案」解釈が意図的なのか、単純な誤認なのか分からないが、「北朝鮮を非難する声明を出」したことを「不当な差別」、「人権侵害」とした前提も、その後の救済手続の記述も重大な誤りである。それらの誤りを前提に「全文が左翼ファシズムのバージョンである」と結論付けている彼の主張こそファシズム的なものを感じるのは私だけではないだろう。
「人権侵害」の定義は不充分だが
彼の同様の主張はさらに続く。「韓国政府の反日法は次第に過激になり、従軍慰安婦への補償をめぐる要求が再び日本の新聞やNHKを巻き込む一大キャンペーンとなったとする。代表的な与党政治家の一人がNHK幹部の来訪の折に公平で公正な放送をするようにと求めた。ある新聞がそれを『圧力だ』と書き立てた。すると今までと違って、在日韓国人が『不当な差別だ』『人権侵害は許せない』と一斉に叫び、マスコミが同調した。人権擁護法の第二条には何が『人権侵害』であるかの定義がなされていない。どのようにも拡張解釈できる。かくて政治家が『公平で公正な放送をするように』といっただけで『圧力』になり『人権侵害』に相当すると人権委員会に認定される。日本を代表するその政治家は出頭を求められ、令状なしで家を検査される。誇り高い彼は陳述を拒否し、立入検査を拒むかもしれないが、人権擁護法第八十八条により彼は処罰され、政治生命を絶たれるであろう。人権擁護委員は在日韓国人で占められ、日本国籍の者がいない可能性もある」と述べられている。
確かに「法案」の「人権侵害」の定義は十分とはいえないが、「人権侵害」とは、先にも述べたように特定の者に対しての人権を侵害する行為であり、第三条一項で明記されている「不当な差別的取扱い」、「不当な差別的言動」、「虐待」のいずれにも該当しない。よって先と同様、特別救済の対象にならないことはいうまでもなく、その政治家が「出頭を求められ、令状なしで家を検査される」こともあり得ない。またこの検査は拒否された場合に強制力を伴うものでもなく、同様の規定は公害紛争処理法等数多くの法律の中に存在している。この「法案」だけが特別な規定を置いているわけではない。ちなみに「公平で公正な放送をするように」と放送局に言うのは、憲法及び放送法からみて問題がある可能性が存在する。
「法案」制定時の恐怖心を煽る
さらに、彼は「正論」の中で「南京大虐殺に疑問を持つある高名な学者が百四十三枚の関連写真の全てを精密に吟味検査し、ことごとく贋物であることを学問的に論証した。人権擁護法が成立するや否や、待ってましたとばかりに日中友好協会員や中国人留学生が『不当な差別だ』『人権侵害は許せない』の声明文を告知したとする。人権委員会は直ちに著者と出版社を立ち入り検査し、即日の出版差し止めを命じるであろう」。
「人権擁護法第三条の二項は、南京事件否定論をほんのちょっとでも『助長』し、『誘発』する目的の情報の散布、『文書の頒布、提示』を禁じている」と述べている。
「法案」第三条二項に掲げる差別助長行為は「不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的」あるいは「意思」が存在する場合に限定されており、学問的に検証することは、不法な目的や意思が認められず、「不当な差別」や「人権侵害」にはあたらない。もちろん特別救済の対象にはなり得ない。
以上のような彼の一連の主張には、「法案」解釈の曲解を通して「法案」が成立した場合の恐怖心を煽るという意図が貫徹されている。
最後になったが、実際にあったようなことを仮定して「法案」を批判しているところに彼のアジテーター(煽動家)としての老練さが発揮されていることは率直に認めたいが、「法案」の正しい解釈とは、かけ離れており、「法案」への正当な批判とは考えられない。 しかし、圧倒的多くの人びとは、「法案」の条文を詳細に検討することはなく、容易に彼の主張を信じてしまう可能性もあり、彼の見解の一部だけであるが、反論することにした。
彼の見解には上記以外にも多くの誤りがあることを付け加えておきたい。