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2004.12.22
意見・主張
  
《12月6日世界人権宣言東京集会基調》

日本における「人権の法制度」確立への課題と展望

(1)「世界人権宣言」56周年にあたって

<1>『平和の基礎は人権確立であり、人権確立の基礎は差別撤廃』

21世紀にむけてのカウントダウンがはじまった1990年代の半ば頃から、「21世紀は人権の世紀」だということがさまざまな人たちによって強調されてきました。

それは、20世紀が「戦争の世紀」と言われたことへの多くの人々の深い内省から生まれた強い願望であり、人類的希望であったと言えます。2度にわたる世界大戦におけるおびただしい人命が犠牲にされた悲惨な経験は、「平和の基礎は人権確立であり、人権確立の基礎は差別撤廃である」という基調に貫かれた格調高い世界人権宣言(1948年)を生み出し、56年が経過してきました。

今日までに、世界人権宣言の基調を具体化していくために、国際人権規約や人種差別撤廃条約などの27の国際人権諸条約が国連を中心に採択されています。国連段階では、1980年代末までに、人権に関する当面の基準設定はほぼ終えた言われ、90年代からはこの国際人権基準を各国が責任を持って自国で具体化していくことだとの共通認識に立っています。

<2>国際人権基準具体化への各国の責務と努力の継続化

1993年にウィーンで開催された「世界人権会議」は、東西冷戦構造の終焉という新たな国際局面のもとで、南北問題の鋭い緊張を孕みながらも、「人権の普遍性・客観性・非選択性」を確認するとともに「国連人権高等弁務官の設置問題等の人権機構の改組・強化」を採択しました。付言するならば、各国における人権機関の設置基準を定めた「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」も同時期に国連総会で採択しています。また、1995年からは「人権教育のための国連10年」が取り組まれ、今年が最終年となっていますが、来年からは「人権教育のための世界プログラム」として継承・発展させていくことが決まっています。

国際人権基準を各国で具体化していくための国連サイドからの仕掛けと仕組みは一応できあがってきていると言えます。その意気込みが、「21世紀は人権の世紀」という合い言葉につながり、現在に至るまで世界各地で多くの人たちによって「人権」の確立と発展への継続的な努力が続いています。

<3>戦争と貧困の克服を通じ「21世紀を人権の世紀へ」

しかし、21世紀の今日における世界の人権状況の現実はどうでしょうか。21世紀初頭からアフガン・イラク戦争等によって多くの尊い人命が犠牲にされており、グローバリズムが進行する下で世界の2割の人が6割の富を占有するという形で貧富の差が極端に拡大し南北間対立が激化しています。宗教対立や民族間対立による局地紛争も後を絶たない状況があります。日本が、これらの人権状況の悪化の事態に深く関与していることは周知のとおりです。

私たちは、戦争と貧困という世界の厳しい人権状況の現実を見据えながらも、そうであるが故に「21世紀は人権の世紀」にしなければならないという切実な思いを持っています。国際人権基準というグローバルな視点を共有しつつ、これを日本国内において具体的な課題に即応しながら現実化していくというローカルな責務を私たち自身が果たしていくことが、今ほど重要な時期はないと痛感しています。


(2)日本における人権状況と「人権の法制度」確立への課題

<1>日本における差別実態と人権侵害の現状

日本の今日の人権状況を見ても、きわめて深刻な事態が進行してきていると言わざるを得ません。

イラクへの自衛隊派遣など「戦争への道」がなし崩し的に強行され、日本人の人質が惨殺されるなどの事件を通して、「人命軽視」の風潮が台頭化してきており、それが「自己責任」の名の下に正当化されるという危険な傾向が見られます。「戦争は、最大の人権侵害である」という歴史的教訓を深く胸に刻み、憲法における平和・人権の理念を断固として守り発展させていく必要があります。

また、長期化する経済不況のもとで、若年不就労者が400万人を越え、倒産やリストラなどの急増により6年連続で自殺者が3万人を越え、全国でホームレスの人たちが急増しているという異常な事態になっています。

さらに、これらの政治・経済風潮のもとで、DV被害、児童虐待、不登校やイジメ、高齢者の孤独死なども増加してきていますし、外国人労働者や移住者への排除傾向が強まったり、人身売買の問題も深刻な状況にあります。

当然、被差別部落、アイヌ民族、在日コリアン、障害者、女性、ハンセン病やHIV感染者などのマイノリティの人たちに対する差別事件も依然として後を絶たず、陰湿な形で悪質化してきていると言えます。

例えば、昨年11月には、熊本の国立ハンセン病療養所の菊池恵楓園に入所している人たちが、「他の客に迷惑がかかる」という理由で温泉ホテルから宿泊拒否をされるという差別事件が発生しました。さらに、誠意のないホテル側の謝罪文の受け取りを拒否した恵楓園に対して、「お前たちと一緒に風呂に入りたくない」、「税金で生活しているのに、思い上がるな」、「差別されるのは当然だ」などといった差別的な誹謗・中傷の手紙や電話が全国から殺到し、根強い差別の現実を見せつけました。

また、今年10月19日には、被差別部落の人たちに1年半以上におよんで400通を越える差別はがきを送り続け、特定の個人に対して「殺す」という脅迫をしていた加害者が警視庁浅草署によって逮捕されました。

これらの事件はほんの一例ですが、枚挙にいとまがないほどに多くのマイノリティの人たちが差別の現実の中で苦しみ、人権侵害を受けている事実があります。2003年度に法務省が取り扱った「人権侵犯事件」だけでも2万件近くにおよび、増加傾向にあることが報告されています。しかし、差別や人権侵害を受けた人が、法務省の人権擁護機関に相談・申告したのは「0.6%」という調査があることを考えれば、2万件というのは実際の人権侵犯事件の氷山の一角に過ぎません。しかも、具体的な差別や人権侵害を明確に禁止・規制したり、その被害者を救済するための法律や制度は存在していないのが現状です。

<2>マイノリティ当事者の自主的運動と差別撤廃への取り組み

厳しい差別の現実はありますが、マイノリティ当事者たちは、この現実の前に決して膝を屈しているわけではなく、「人間の尊厳」を求めて差別撤廃・人権確立への粘

り強い不屈の闘いを続けています。

多くのマイノリティ当事者や人権NGOをはじめとする広範な各界の心ある人たちたちの不断の努力は、中央政府や地方自治体を突き動かし、「人権の法制度」確立にむけて徐々に成果を具体化させつつあります。地方自治体では、800におよぶ「差別撤廃・人権条例」が制定されてきていますし、国段階でも1990年代から相次いで人権にかかわる法制度が策定・改廃されてきています。

《障害者差別撤廃の運動》

障害者の人たちは、自己決定権を基本にした自立と社会参加を求めた取り組みを推し進め、1993年に改正した「障害者基本法」をさらに改正・発展させる立場から、障害者差別禁止を明確に位置付けた「障害者差別禁止法」の制定運動を展開し、ユニバーサルな社会の建設をめざしています。

《ハンセン病差別撤廃の運動》

ハンセン病回復者の人たちは、排除・隔離の差別的な「らい予防法」を1996年に撤廃させると同時に、1世紀近くにおよび差別政策をとり続けてきた国家責任を問いながら、差別撤廃への取り組みをすすめ、断ち切られてきた社会や肉親との関係回復を求めています。

《アイヌ差別撤廃の運動》

アイヌ民族の人たちは、1997年に明治時代から長らく続いてきた差別的な「旧北海道土人保護法」を廃止させ、不充分ながらも「アイヌ文化振興法」を勝ち取りました。しかし、アイヌ民族の先住権を回復する取り組みとアイヌ民族への差別撤廃の取り組みが、今も粘り強く続けられています。

《女性差別撤廃の運動》

女性の人たちは、女性差別撤廃をもとめ、1999年の「男女共同参画社会基本法」の制定を機に、地方自治体における条例制定運動などを展開しています。しかし、固定的な性差役割分担の是正が、「日本の伝統的美風を否定するもの」との根強いバックラッシュが各地で起こるなど厳しいせめぎ合いを続けています。

《部落差別撤廃の運動》

被差別部落の人たちは、人権行政の先駆的役割を果たしている同和行政を推進させるとともに、1985年に公表した「部落解放基本法」の個別内容の具体化をはかる取り組みを進め、2000年にその一環として「人権教育・啓発推進法」の制定をかちとり、引き続き部落解放・人権政策確立を求めるとともに、各地で「人権のまちづくり」運動を展開しています。

《在日コリアン差別撤廃の運動》

在日コリアンの人たちは、歴史的・政治的な厳しい民族差別の撤廃を求めて、「内外人平等」の原則を具体化する取り組みを進めています。2000年には指紋押捺を廃止した「外国人登録法」の改正などの取り組みを徐々に前進させてきていますが、さらに参政権問題や国籍による諸制度からの排除問題等に対して取り組みを強化しています。

《さまざまな差別撤廃の運動と新たな問題》

これら以外にも、沖縄の人たちやHIV感染者の人たち、滞日外国人の人たちなども、差別撤廃への取り組みをすすめています。また、今日では、社会的差別・排除などともに、無視や無関心によって引き起こされる社会的孤立・孤独の問題なども人権侵害としてとらえ、人と人との豊かな関係づくりによる「排除なき社会」を建設していくことが重要視されています。このような動きの中で、「児童虐待防止法」(2000年)、「DV防止法」(2001年)、「ホームレス支援法」(2002年)などが制定されてきていることは、不充分な面を持っていますが、一定の前進として捉えることができます。


<3>「人権の法制度」確立への問題点と課題

厳しい差別実態や人権侵害の実態があり、その是正を求める当事者や人権NGOなどの運動が展開され、一定程度「人権の法制度」も前進してきたことは事実です。

しかし、これらの法制度が、マイノリティ当事者や人権侵害被害者の人たちにとって「明日への生きる希望」をつなぐことができるものとして存在しているのか、本当に差別撤廃・人権政策確立に有効に機能しているのかと言うと、残念ながら否定的にならざるを得ません。

何故なのでしょうか。本来であれば個別の課題ごとに綿密に検討していく必要がありますが、ここではそれぞれの個別の課題に対応する法制度に共通する理由として、次の3点を指摘しておきたい思います。

《人権の理念の欠如と「人権基本法」の必要性》

第1の理由は、差別撤廃・人権確立へむけての「明確な理念」が打ち立てられていないということです。

日本には、本格的な「人権基本法」なり「差別撤廃基本法」というのがなく、個別の差別問題や人権問題にかかわる法律においても「差別」や「人権」についての定義が曖昧にされたままです。少なくとも、日本国憲法や国際人権諸条約を踏まえた「理念や定義」が必要です。

また、「理念や定義」が曖昧であるために、差別や人権侵害を明確に禁止・規制することができず、マイノリティや人権侵害の実態の正確な把握にもとづく系統的な政策も立案されず、場当たり的な恣意的施策になっているのが現状です。理念なき法制度は、一貫性を欠き硬直化するのが常であり、差別撤廃・人権確立への現実的応用や発展的展開を押しとどめるものです。

日本の人権行政が、人権「擁護」の範疇にとどまり、人権「擁護・促進」にならない事実が、このことを雄弁に物語っています。

《国権的制度作りの欠陥と市民参加の法制度の仕組みの必要性》

第2の理由は、お上行政と言われる日本の伝統的な官僚主義的手法により、国権的・公権的発想からの法制度になっており、マイノリティや人権侵害被害者の実態に立脚した有効な人権の法制度の仕組みになっていないということです。

明治憲法以来の「臣民の権利・義務」的な発想が、今日においても「基本的人権」の捉え方の底流にあるのではないかと思われます。これは、人権にかかわる制度設計としては重大な欠陥です。

人権確立が、「公権力への抑止」や「一人ひとりの自己実現」ということと表裏一体であることを考えれば自明のことです。換言すれば、人権の法制度としての有効な仕組みにするためには、公権力からの独立性を確保し、当事者参加や市民参加の場を保障し、一人ひとりの自立(自己実現)をあらゆる角度から支援するという仕組みが必要なのです。

《分断的縦割りの弊害と横断的・総合的な人権行政機構の必要性》

第3の理由は、国の基本政策である差別撤廃・人権政策確立が、個別課題の担当省庁に任されて、政策的整合性に欠ける縦割り弊害による「個別分断的人権」になっているということです。

個々の人権はそれぞれに密接に関連し合っているという人権の不可分性は、人権政策における一貫性のある総合政策を要求しているのであり、それを可能にする全省庁を網羅した行政機構が必要なのです。

現在の状況から一例をひいてみると、「障害者基本法」は厚労省、「アイヌ文化振興法」は内閣府、「男女共同参画社会基本法」は内閣府、「外国人登録法」は法務省、「人権教育・啓発推進法」は文科省・法務省というような形でバラバラになっています。これは、それぞれのマイノリティ当事者が、差別撤廃・人権確立ということを求めているにもかかわらず、その基本理念を確立することなく個々の措置的な事業施策で事たれりとする姿勢があるからです。

その意味では、人権政策に関して全省庁を統括・調整しながら、総合的・体系的に理念と政策を展開していく「人権省」のような行政機構を創設することが求められているのです。地方自治体の多くでは、人権に関する総合部局が設置され機能していることをみるならば、国における行政機構の整備の遅れは決定的であり、国と地方自治体との有機的な人権行政の連携が疎外されていると言えます。


(3)「人権侵害救済法」(「人権委員会」設置を中心とする法律)の早期制定

<1>「人権の法制度」確立への礎石としての「人権侵害救済法」

人権侵害の救済に関する法律の制定は、「人権の法制度」を確立していくうえで、礎石となるべき重要な課題であることは言うまでもありません。

その意味で、遅きに失した感はありますが、2001年に人権擁護推進審議会が、『人権侵害救済のあり方について』と『人権擁護委員制度の改革について』の2答申を行い、これを受けて政府提案として「人権擁護法案」が2002年3月に国会審議に付されたことは、一定評価できるものでした。

しかし、この「人権擁護法案」は、前述した「人権の法制度確立への問題点」を多分に抱え込んだ欠陥法案でした。「独立性・実効性の確保」や「メディア規制の削除」などの観点から、抜本修正の要求が各界の広範な社会的世論として巻き起こったのは当然のことであります。国際的にも国連人権諸機関を中心として「パリ原則」を踏まえる必要性があるとの勧告が相次いでなされました。その結果、4たびの国会での継続審議を経て、昨年10月に衆議院解散に伴い自然廃案となり、今日に至っていることは周知のとおりです。

<2>政治の立法不作為は許されない

差別や人権侵害で苦しんでいる人たちが多数いるという現実は、1日も早い人権侵害救済に関する法律の制定を求めています。同時にそれは、「人権擁護推進審議会答申」を具体化し法制化するという政府責任、「人権擁護法案は重要であるが、原案は修正する必要がある」とした与野党合意を継承・発展させるという政治責任、国連諸条約機関からの「パリ原則にもとづく国内人権委員会の設置」勧告を誠実に履行するという国際責任から言っても、早期に制定することは当然のことです。

しかし、「人権擁護法案」が廃案になってから、既に1年2ヶ月が経過しています。緊急かつ重要な「法案」の再提出がなされないままに、2回の国会が終わりました。これは、政治の立法不作為以外の何ものでもありません。地方議会からも人権侵害救済に関する法律の早期制定を求める決議が相次いでなされてきていることを、政府や各政党は重く受けとめるべきです。

立法府の責任において、政治の主導的役割を発揮しながら、廃案となった「人権擁護法案」をめぐる論議の経過と到達点を踏まえて、第162通常国会で「人権委員会」設置を中心とする「人権侵害救済法」を是非とも制定すべきです。

最後に、「人権侵害救済法」の制定は、今後の日本における総合的で体系的な「人権の法制度」確立にむけた重要な屋台骨であるとの観点から、実効力ある人権行政推進への政府行政機構の整備も射程に入れてすすめられるべきであることを強調しておきます。同時に、反差別・人権諸団体をはじめとする民間の側からも、それぞれの個別課題における独自の取り組みを大切にしながらも、「人権の法制度」確立などの共通する課題での横断的な反差別・人権運動の協働行動を強化し拡大していくことを真剣に追求する必要があることを提起し、本集会の基調提案にします。


以 上

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